2012年5月22日 (火)

歴史散策ウォーク (5月度)

5月の歴史散策ウォークは19日(土)は宮島散策(神社コース)。好天に恵まれ絶好のウォーキング日和。

宮島は昨年8月1日宮島水族館リニューアルオープンにより過去最多の観光客数350万人超。本年度もNHK大河ドラマ「平清盛」でかなり期待できそう。


7387-日本三景寄植の松

宮島発着ターミナルを出た左手に松島の赤松、天橋立、宮島の黒松が平成5年に植樹されている。宮島は在職中何度も訪れているが全く気がついていなかった。これは日本三景協議会で宮島と同様のものが、松島、天橋立にもあるそうで松繋がりになっている。

Dscf7387

7388-おもてなし隊

5月12日平安時代の武家女性に扮した「宮島おもてなし隊」が発足(4名)。大河ドラマに乗っかり神社周辺で、道案内、記念撮影に応じている(来年1月まで)。因みに衣装は、壷装束と呼ばれる武家女性の外出着。

Dscf7388

7394-急斜面の鹿

宮島の鹿も食べる物に困ったのか、人も登れないところで食事。観光客も落ちないかと心配顔?で写真に収めていた。

Dscf7394

7400-ヘレンケラーの灯篭

生涯で三度来日しその内二度宮島を訪問。大鳥居近くに彼女が献灯した灯篭があり、ヘレンケラー灯篭と呼ばれている。

Dscf7400

7411、7405-厳島神社での結婚式

神社での挙式も年々増えており、挙式料は初穂料、玉串料として10万円の支払いで、式後は回廊の出口で人力車が待っており新郎新婦で島内散策。当日の方は兵庫県からのお越しでした。

Dscf7411_4  Dscf7405_3

7419-大願寺9本の松

伊藤博文公が明治時代に来島その時に植樹された物で100年以上経過しているそうです。

Dscf7419_2


7417-錦帯橋の模型

大願寺本堂の軒下に岩国錦帯橋の縮尺25分の1の精密な模型がある、パリ万博に出品された物。錦帯橋が1950年9月の台風で流失した際、設計図が残っていないため、この模型を参考にしたと云われています。

Dscf7417
7440-まむし草

大元公園付近に自生している有毒植物(茎のような物がマムシに似ている)で周辺の鹿もこの草は食べないらしい? 有毒植物と云えば、先日一家5人がニラと誤ってスイセンを食べ食中毒の記事が出ていた。因みに我々が良く目にするものでは、あせび、おしろいばな、しきみ、すずらん、ひがんばな、やつで等たくさんあり。春の若葉の頃間違って食する人が多くいるそうで死に至る場合もあるそうですが反面薬用効果もあるそうです。

Dscf7440

7396-宮島の大鳥居

4月3日の暴風により大鳥居の屋根が一部破損、4月19日~6月18日の間の工期で修理中。当日は防護ネットが張られており、県外客にはかわいそう。

Dscf7396_2


7433-生まれて間もない小鹿

生後数日の小鹿をはじめて発見、可愛いので写真に収めました。

Dscf7433

記事投稿者: 神守武彦(商4)

備考: 掲載した写真はすべてサムネール画像です。 画像をクリックすると拡大します。

| | コメント (3)

2012年5月16日 (水)

「てっせん」オンパレード

私の健康維持法の一つとして、ほぼ毎日、私が住んでいる団地内をマロンと散歩している。その時見かける「テッセン」は実に美しい。名前だがむしろ「クレマチス」の方が世間では知られているかもしれない。

とにかく、ここ一週間の間に、かなりの枚数になったので、整理した。すると、次の画像のように、ピンク系、ブルー系、白系の3種類に大別することができた。

Img_0363 Img_0372 Img_0375

Img_0368 Img_0385 Img_0401

Img_0357 Img_0449 Img_0451

この花は家の垣根などにツル状に巻き付いて咲いているので、皆さんもよーくご存じだと思う。全体図は下の画像からご想像いただこう。

Img_0359 Img_0373 Img_0386 Img_0388 Img_0396

Img_0399 Img_0404 Img_0415 Img_0448 Img_0454

記事投稿者: 尾畑 達(商2)


画像の追加: これまでに掲載したテッセンの葉の数はほとんどが8枚の物ばかりでした。しかし、昨日マロンとの散歩で新たに発見した次の3点はかなり特異な品種です。通常、テッセンの葉の数は8枚ですし、サクラのように一重がほとんどです。 しかし、よくご覧あれ。左の画像は先端部が全部開くときっと八重ぐらいにはなるのではないでしょうか。 真ん中の画像は6枚ですし、右の画像はどうみても12-13枚あると思われます。

Img_0465_1_2 Img_0467_1_2 Img_0473_1_2

| | コメント (2)

2012年5月 7日 (月)

「Ladies' & Men's Fashion」

以前のブログでも紹介したことがありますが、私の高校の同級生で、某私立大学の元名誉教授から、また面白いメールが届きましたので、紹介しましょう。


画像は散髪屋の看板です。「Men`s & Ladies」と書かれています。「Men」の後ろには本来「'」(アポストロフィ)がくるべきですが、「`」(アクサングラーブ)がきています。そして、「Ladies」の後ろにはやはり「'」(アポストロフィ)をつけなくてはいけません。短い言い回しの中に二つの誤りがあります。

1img_0005_2 

靴屋の看板です。左に「MEN'S SHOES」、右に「LADIES SHOES」と書かれています。「Ladies」の後にはやはり「'」(アポストロフィ)が必要です。

1img_0003

理容院の看板です。「LADY'S & MEN'S」と書かれています。これは「LADY」が単数形で「MEN」が複数形となっていて不揃いです。やはり両方とも複数にすべきでしょう。

1img_0002_1

総合ファッション店の案内板です。「Ladies' & Men's Fashion」と書かれており、これが正解です。

1img_0001_1

ハイカラな感じを醸し出すための英語表記でしょうが、初歩的な誤りには泥臭さ感じてしまいます。


以上が私の旧友からのメールの全文です。しかしながら、本文の最後にある 「Ladies' & Men's Fashion」の英語表現には私はちょっとした疑問があるのです。

学生時代と言っても遠い昔、我々は少なくとも「紳士・淑女」という場合は「Ladies and Gentlemen」であったし、「Menに対してはWoman」だと習ったはずです。そうならば、「Ladies' & Gentlemen's Fashion」ではないのか、と素朴な疑問を旧友に問い合せました。

すると、旧友はいとも簡単に「ベルリッツのサイト」には次のような記述がある、と返答してきました。

the men's/ladies' (rest)room(男性/女性用トイレ)、
the men's/ladies' department(デパートの 男性/女性向け商品売り場)、men's/women's/ladies' fashion(男性/女性のファッション)、など」

時代と共に英語は変化しているのでしょうが、私にはどうしてもしっくりこないのです。皆さんはいかがでしょうか?

記事投稿者: 尾畑 達 (商2)

               

| | コメント (0)

2012年4月27日 (金)

歴史散策ウォーク(4月度)

今月の歴史散策ウォークは4月21日JR西広島駅集合、己斐地区散策。

神社仏閣主体ではあるが、その殆んどが山手傾斜地にあり、散策ウォークの中ではかなりきついコースの一つ。民家もかなりあるが車なしでは高齢者には大変厳しい土地柄。


7256-ズッコケ三人組モニュメント

Dscf7256
この三体の石像は、戦後の日本児童文学で最大のベストセラー「ズッコケ三人組」。左から「ハカセ」「モーちゃん」「ハチベー」。作者は那須正幹氏で、実在する同級生がモデル。

物語は作者が生まれ育った広島市西区己斐町が舞台。この像があるJR西広島駅は物語りの中では花山駅となっている。

モニュメントは平成20年度の「広島市ふむふむ」の助成金で設置、写真撮影時はまだ手作りの服が着せてあった。

7263-ズッコケ三人組のモニュメント

Dscf7263
旭山神社内にあるモニュメントで物語では花山神社。己斐の地名は、「大化の改新」の折全国の地名を2文字で表すようになり、鯉を己斐と表記。因みに、徳島は粟から阿波、大阪の泉も和泉となっている。

7261-旭山神社の運搬車

Dscf7261

この神社は頂上まで200段以上あり、重い荷物がある時、階段右の運搬車を利用する。当日神社の方がたまたま利用していた。

7267、7281-ベニマンサク、ライラック

Dscf7267  Dscf7281

この己斐地区の住民の皆さんは庭を大変良く手入れしており、我々散策する者にとって大変癒される。

7270-浄修院

Dscf7270

この地区の神社仏閣は良く手入れされており、お参りの際は心が洗われる。

7273-蓮照寺の被爆鬼瓦

Dscf7273

「原爆の閃光爆風黒き雨に耐えし世の中安穏なれと獅子吼す」と記されており、本堂修復の際、蓮照寺横に保存し、核兵器廃絶を願っている。

7280-通玄山

Dscf7280

山というより岩そのもので、1654年隠元禅師が名づけ、寺西織部信之が自然石に通玄山と刻む。通玄とは「禅の極地」。インゲン豆は、隠元が来日した際日本へ持ち込み広めた。

7283-植木屋次郎右衛門の墓

Dscf7283

1619年大阪府池田市から来た植木職人で、この人のお陰で己斐地区に植木が広まり、己斐は「植木、盆栽作り」の元祖となっている。また水はけの良い土地で松の盆栽は特に優れている。

7286-キリシタン殉教の碑

Dscf7286

ノートルダム清心学園入り口にこの碑があり、江戸時代、幕府が禁教令を出したことで、広島でも多くの殉教者を出すことになった。 極刑に処された人々を偲んで昭和58年建立。

7287-被爆建物広島市水道局己斐調整場

Dscf7287

1932年傾斜地に住宅が多い己斐町に完全給水を目指す為建設。爆心地から2310mの地にあり外壁面はレンガ風タイルで補修されているが現在は使われていない。

7289-家庭菜園

Dscf7289

今年は自家消費用に、庄屋大長なす、桃太郎トマト、ミニトマト、イエローアイコ、アイコ、ししとう、青しそ、モロヘヤ等の種まき。3月1日に蒔いた種が現在では30cmになり、5月に入ると地植え開始。石灰窒素、牛糞、元肥等の準備も終わり毎日の手入れで収穫が待ち遠しい。

記事投稿者: 神守武彦(商4)

| | コメント (3)

2012年4月24日 (火)

枝垂れ桜のオンパレード

四街道市は私が住んでいる佐倉市に隣接しており、買い物などでよく出かける。桜はこの市の木だ。それを代表するかのような桜が福星寺(看板あり)にある2本の親子枝垂れ桜だ。


1img_0001
左が親で右が子供だ。

1img_0022

次の画像は目通り周囲3.3m、樹高14m、樹齢380年余りの親桜の幹姿だ。

1img_0006  1img_0017_2  1img_0019

貫禄のある親桜の幹は何処ろどころ苔むしており、深い歴史が刻まれていることがうかがえる。

1img_0021

そして次の画像が目通り周囲1.8m、樹高13m、樹齢60年余りの子桜だ。誠に見事な枝垂れ桜。先ずはご覧あれ。

1img_0002

一方、小桜は親桜に比べ当然ながら幹は細い。しかし、下から見上げた時の枝の広がりに思わず息をのむ美しさがある。

1img_0007

この桜には江戸幕府樹立後、御成り街道沿いの金光院本堂前に植えてあった徳川家康公お手かけの桜を株分けしたという言い伝えがあり、観る者をいにしえの世界にいざなうのである。下の画像はその金光院本堂の全体図だ。屋根の最上段には金光院の文字があるが、拡大しておくので、クリックするとそれがよくわかる。

002

山武市は九十九里ガ浜の蓮沼海岸のちょうど真裏に当たる内陸部にある町だ。この町でも二つの枝垂れ桜が見られる。

その一つは妙宣寺の境内にある。

1img_0008
目通り周囲3m、樹高12m程の左右一対の枝垂れ桜が境内を覆うように美しく咲き誇る。

1img_0030
1img_0022_2   1img_0032   

もう一つは徒歩10分ほど離れた長光寺にある枝垂れ桜だ。

1img_0009
目通り周囲5m、樹高15m、樹齢約300年の「ウバ東枝垂れ桜」だ。老樹の為、昭和40年に二世が接ぎ木によりつくられている。下の右の画像がそれだ。

1img_0008  1img_0006_2

1img_0022

薄桃色に色づいた無数の花の下をくぐるようにして本堂を目指せば、その花びらはまるで流れ落ちる滝のような美しさ。

1img_0042

記事投稿者: 尾畑 達 (商2)

| | コメント (0)

2012年4月11日 (水)

東広島ー呉道路開通前のウオーキング

呉市阿賀IC-黒瀬IC間12.3キロの開通を翌日に控えた3月31日自動車道ウォーキングに参加。

当日は家族連れ約一万人の参加でメイン会場郷原周辺の臨時駐車場(1500台)は午前10時ごろには満杯。特設会場では特産品の販売、イベント等で大盛り上がり。

当自動車道(通行料は無料)はすでに山陽自動車道高屋JCT馬木間は開通済みで、残る馬木ー黒瀬間(8.8キロ)も急ピッチで工事が進んでおり、2014年度に全線開通予定。

全通になれば呉市阿賀より山陽道高屋ICまで35分(32.8キロ)で結ばれ物流等の期待が高まる。


7195-開通前日の家族連れウォーキング

Dscf7195_5    

7177、7181-マリノポリスの埋立地とコカコーラウエスト社

Dscf7177  Dscf7181

マリノポリス(2006年埋め立て整備)は呉市が578億円を投じ敷地は46ヘクタール。 ここ数年の不況により進出企業は僅か2社であるが、昨年開通のマリノ大橋によりアクセスが大幅に改善され企業誘致に期待がかかる。

7175-阿賀マリノ大橋

Dscf7175
     
この橋によりマリノポリスー阿賀ICまで1.6キロで臨港道路も大幅に改善

7173-フェリー桟橋、後方に見えるのがマリノ大橋

Dscf7173

2009年6月30日まで呉松山フェリー㈱(呉市阿賀より松山堀江間を運行)が使用。可動橋の手入れは良くされており、いつでも使える状態に保持されていた。

記事投稿者: 神守武彦(商4)

追記:すべての画像はサムネイルで処理済みです。画像をクリックすると拡大します。

| | コメント (0)

2012年4月 8日 (日)

春の心はのどけからまし

日本人にとって、桜は切っても切れない関係にあると言っても過言ではない。古くから日本人は桜を愛し、歌を詠み、花の美しさに感激してきた。花の下での宴会は実に楽しい。満開の花は実に見事で、在原業平の次の歌を思い起こす。

        「世の中に絶えて桜のなかりせば、春の心はのどけからまし」

1img_0001_2

一方、徒然草には「花は盛りに、月はくまなきをのみ、見るものかは」とあり、満開の桜だけがよいのではない、月も満月のみが風流ではない、とある。

まあ、春風に花が散る風情、やがて青葉のみずみずしさ、そして晩秋の紅葉は桜なしでは語れない。とどのつまり、四季を通じてこれほど楽しませてくれるのは桜をおいてほかにないとも言えるのである。

先日の低気圧がまるで台風なみに日本全土を駆け抜けていったため、九州では桜の花がかなり散ってしまったのではなかろうか。こちら、関東は2日前に開花宣言をしたようで、うまく低気圧の被害を最小に食い止めた。実に喜ばしい限りだ。とはいえ、自然現象として、桜は散るから美しいとも言える。

1img_0005

春が来て新芽が膨らんでいくのを見ていると、命の再生を感じるとてもさわやかな季節が到来しているのを実感する。大げさな言い方かもしれないが生きる喜びを与えてくれる。

1img_0001_3

しかし、生あれば死。娘の嫁ぎ先で昨日、義父が他界。これから、お通夜に出かけるが、春爛漫にならんとするこの時期だ。娘家族も突然のこの悲しみにもきっと耐えてくれるであろう。

記事投稿者: 尾畑 達 (商2)

| | コメント (0)

2012年4月 3日 (火)

「三」がつく言葉のこと

「日本人、数のしきたり」という単行本を手に入れた。著者は飯倉晴武。宮内庁書陵部図書課主席研究官だった人だ。内容は一から十までの数字にまつわる日本人の物の考え方をまとめた本だ。最近はほとんど本を読まないので、買ったはよいが、さてはて、読めるだろうかと心配したが、なかなかどうして、面白いので一気に読破してしまった。そのせいか、体中がほてって、かなり興奮気味だ。

41rwrbrxw1l__ss500_

例えば、「三」という数字について、私なりにこの本の内容を整理してみた。どうかご笑納あれ。先ず、中国の老子は「三は万物を生む」という有名な言葉を残しており、仏教においては「三身=法身、報身、応身」とあり、「欲界、色界、無色界」を「三界」といい、「三」という数字は古今東西を問わず神聖な数であるとされている。

一方、日本においては「三人よれば文殊の知恵」、「石の上にも三年」、「三度目の正直」など
「三」がつく格言や諺は多く、この数に意味を見出していたことがうがかえる。

また、「三種の神器」、「三大○○」というようにさまざまな物事を三くくりで表現する。これは、「三」という数が持つ縁起のよさと安定性からきていると思われる。

例えば、最近では国と地方公共団体に関する行財政システムに関する3つの改革、つまり(1)国庫補助負担金の廃止・縮減、(2)税財源の移譲、(3)地方交付税の一体的な見直し、を三位一体の改革と使い分けている。

「三」がつく言葉はまだまだたくさんある。

例えば:
三顧の礼、早起きは三文の徳、仏の顔も三度まで、桃栗三年、柿八年など、相撲の三役、三つ指、前菜の三種盛り、歌舞伎の幕の三色、流れ星に三度願いをかける、三回の焼香、三隣亡、三途の川、三々九度、3月3日のお雛祭り。

日本に限らず、世界の文化でも3つのものを総称する。例えば、活版印刷・火薬・羅針盤は世界の三大発明と言われているし、三大珍味と言えば、トリュフ・キャビア・フォアグラ。三大料理は、フランス・トルコ・中華料理だし、太平洋・大西洋・インド洋はまとめて三大洋。三大宗教は、イスラム教・キリスト教・仏教だ。

更に、日本で言うところの世界の三大美女は、クレオパトラ・小野小町・楊貴妃だし、世界の三大詩人はシェークスピア・ゲーテ・松尾芭蕉だとか。

我々は、3つのものを並べると、そこに物事の安定したまとまりや完結した感じを抱く傾向がある。例えば、色使いを見ると、自動車用信号機は赤・黄色・青の3色だし、世界の国旗の多くは3色だ。表現を濁したり、余韻を持たせる際に、「・・・」と点を3つ書いて文章を終える。これも「3」という数が我々に与える印象の成せる業だと言える。

江戸時代の「徳川御三家」と言えば、尾張の徳川家、紀伊の徳川家、そして常陸の徳川家。
江戸の「三大改革」と言えば、享保、寛政そして天保のことだし、日本三景は松島、天橋立、厳島だ。三名園は兼六、後楽園、偕楽園。三筆とは三人のすぐれた書道家のことで、弘法大師、嵯峨天皇、橘はやなり。京都の三大祭は葵祭、祇園祭、時代祭であり、関東では日枝神社山王祭、神田明神の例大祭、深川富岡八幡宮の例祭を言う。

ほかにもまだまだたくさんある。利根川の坂東太郎、筑後川の筑紫太郎、吉野川の四国三郎を三大河という。昭和時代、同じような年代や芸風を持つ大物芸能人3人を「御三家」と称した。そして、現在「御三家」と言えば、卒業生を一流大学に進学させることができる難関高校の上位3校を総称する表現になっている。例えば千葉県では、千葉高校、東葛飾高校、そして船橋高校だ。

三顧の礼とはいったいどのような礼なのか、三種の神器は今いったいどこにあるのだろうか。ふつふつとわいてくるかかる疑問にも、この本は答えてくれている。が、それを書くと超長くなるので割愛した。

記事投稿者: 尾畑 達 (商2)

| | コメント (0)

2012年3月23日 (金)

選手宣誓のこと

第84回センバツ高校野球の選手宣誓:

5

東日本大震災から1年、日本は復興の真っ最中です。被災をされた方々の中には、苦しくて、心の整理がつかず、今も当時のことや、亡くなられた方を忘れられず、悲しみにくれている方がたくさんいます。

人は誰でも、答えのない悲しみを受け入れることは苦しくてつらいことです。

しかし、日本がひとつになり、その苦難を乗り越えることができれば、その先に必ず大きな幸せが待っていると信じています。だからこそ、日本中に届けます。感動、勇気、そして笑顔を。見せましょう、日本の底力、絆を。

我々、高校球児ができること、それは、全力で戦いぬき、最後まであきらめないことです。今、野球ができることに感謝し、全身全霊で、正々堂々とプレーすることを誓います。

平成24年3月21日

選手代表 宮城県石巻工業高等学校 野球部主将 阿部翔人


これは2日前に行われた高校球児の選手宣誓の全文である。3月21日の夕方のテレビから選手宣誓をしている画像が目に飛び込んできた。とても「強い声」だったので好印象を持った。これまでは画一的だった甲子園の選手宣誓が、自らの言葉で行うようになったのは、いったい何時ごろからだろうか。確かな記憶がない。

「大きい声」と「強い声」には違いがある、と新聞で読んだことがある。

それによると、「大きい声」は威勢はいいが中身がない。一方、声量に関係なく聞く人の心をつかんで離さないのが「強い声」だ。震災被災地からの安部主将の声は紛れもなく「強い声」だった。

このブログを書いている時間帯は参議院の国会中継中だが、野党の執拗な質疑には「強い声」はほとんど聞かれない。いや、むしろ下品な「大きい声」のやじばかり。税と社会保障一体改革に関する議論をしているのだが、日本の将来を真剣に考えて質疑しているのか、甚だ疑問だ。

記事投稿者: 尾畑 達(商2)

| | コメント (2)

2012年3月15日 (木)

文化庁のたて看板のこと

文化庁のたて看板の文字は何故ヨレヨレなのだろうか? テレビで放映されるたびに、「きっとあれは中気持ちの長官が書いたものではないだろうか。みっともないので、やめたらどうだろう。もっとうまい字で書いた方が良いのではないだろうか・・・とそんな気持ちになっていた。

1nec_0004 

しかしながら、文化庁のHPを調べてみると、そこには次のような記載があった。

「文部科学省の玄関に掲げられている看板は、新省発足を機に、新規に製作したものである。看板の「文部科学省」の文字は、筑波大学名誉教授で日展常務理事を務めるなど、現在書道界の第一人者として活躍している今井凌雪(いまい・りょうせつ)氏の揮毫によるものである。」

問題の文化庁の看板は書家として著名な成瀬映山(なるせ・えいざん)氏の作品で、日本ユネスコ国内委員会の看板は会長の平山郁夫氏(広島県出身の超著名人)の揮毫によることも判った。

(尾畑注記:「揮毫=きごう」)

「揮」はふるう、「毫」は筆の意。よって、毛筆で文字や絵をかくこと。特に、知名人が頼まれて書をかくこと。

真実を知ると、「へー、あの文化庁の文字は有名な書道家の作品なんだー」となるが、知らなければ、相変わらず私は「やめとけよ!」という気持ちを持ち続けたかもしれない。

でも、まてよ!文化庁以外の看板はまともな文字なのに、なぜ文化庁だけ、へにょへにょ文字にしたのか? 私にはどうしても合点がいかない。

看板の目的はいったい何んだろう。国民や関係者が文化庁を訪問するさい、あの霞が関にたくさんある政府や官庁の建物に無事たどり着き、その建物が間違いなく文化庁であることを示すのであって、何も芸術性を求めなくてもよさそうに思えるのだが・・・。

記事投稿者: 尾畑 達(商2)

| | コメント (3)

«海外ぶらり旅-モロッコ