2017年6月24日 (土)

2017年度 修大ESS同窓会 開催のお知らせ


梅雨空のうっとうしい日々が続いていますが、皆様、お変わりありませんか? 

 

2017年度の修大ESS同窓会を下記の通り、開催致しますので、お誘いあわせの上、多数、 ご参加いただきたく、ご案内申し上げます。

今年は、商学部4回生は、卒業50周年にあたりますし、還暦(昭和32年生まれ/60歳)、古稀(昭和23年生まれ/数え年70歳)、喜寿(昭和16年生まれ/数え年77歳)を迎えた方々は、人生の節目を祝う集いの場として、旧交を温めていただければと思っています。

 

●日時: 2017年8月11日(金曜日/祭日)  12:00~15:00   

 

●会場: ホテルセンチュリー21広島
      広島市南区的場町1-1-25                                   
            
TEL:082-263-3111 

●会費:   5,500 円       

 

●締め切り:  参加ご希望の方は、725日までに、メールか電話等で、細田、香川、又は、牛尾まで、ご連絡願います。 


細田 tsunehoso2020@yahoo.co.jp  / 090-6437-0324

香川 yume-kikaku@sky.plala.or.jp / 090-4691-1984

牛尾 t0706y0731@yahoo.co.jp     / 080-2914-2561

 

尚、参加でご連絡いただいた後、諸事情で、キャンセルされる場合は、89日の夕方までに、 ご連絡ください。それ以降のキャンセルは、ホテルでキャンセル費用が発生しますので、宜しくお願い致します。    

 

幹事: 細田(商6回生)、香川(商7回生)、牛尾(商9回生)

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2017年6月21日 (水)

歴史散策ウオーク(H29年6月17日)

6月17日(土)は久しぶりの歴史散策ウオーク、梅雨明け後全く雨も降らず炎天下のウオーク(約五時間)。今回はJR廿日市駅より阿品駅の神社仏閣コース、高齢者も多く途中水分補給と休憩で全員無事完歩。 

道中のお宅拝見も楽しみの一つで庭の花も良く手入れされ、ホームセンターが繁盛しているのがよくわかる。


645-ムクロジ
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神社に植えられている樹木は、シイ、タブ、カシ、ケヤキ、クス等いろいろありますが、広島で目立つのは「イチョウの樹木」。薬草としても良く使われ効能咳ー種子、葉は高血圧 薬用部は種子(銀杏)と葉。

雌雄異株で昔は乳の出の悪い産婦はよくさわっていたとか、地方では「チチノキ」と呼んでいるところもある。神社では防火樹と植えられており、幹、葉に水分を含んでおり火事に強いとされています。

また新宮神社には「ムクロジ」が大きく育っていました、これも薬草で、果実の皮、延命皮(ムクロジの生薬名)を洗濯するときに使うため神社でも過っては種子を数珠、また羽子板の羽根にも使用されていました。

654-田植え

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恒例の田植えも5月25日無事終わり、毎日水の管理、写真左側は現在道路(幅15m)が工事中で、周辺の民家は殆ど立ち退き数年後は利便性と引き換えに車公害に悩まれそう。我が家は立ち退きを免れました。

651-昔ながらの田植え風景

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呉市広地区も高齢化で田植え農家も激減、その中でも、一家総出で田植えを楽しんでいる家庭があります。

現在は殆どが機械化され、手植えはここだけ 初夏の風物詩としていつまでも続けてほしいものです。

記事投稿者: 神守武彦(商4)

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2017年6月 7日 (水)

セピア色の写真ー3(万里の長城)

「セピア色の写真ー2「アムステルダム」はこちらから入れます。

かれこれ40数年前に、精密機器である材料試験機メーカーの海外部に勤務していたころ、中国の北京で世界中の精密機器メーカーが参加した展示会があり私が勤めていた会社も参加しました。主催は中国政府の管轄下にあった中国長城計量器公司(中国・北京市内にある中央研究所)でした。

私が当時35歳ぐらいの頃です。約5日の展示会でしたが、延べ来場者数が150万人だったと報道され、驚いた事を覚えています。

中国での展示会は過去に数度参加しましたが、規模は小さく、やはり発展途上国の域を脱していませんでした。展示会をやっても、ほとんど感触はなく、むしろ、カタログ収集が目的だと言われていました。

しかしながら、今回は世界中からの参加がはっきりしていたので、以前の展示会とは会社の熱の入れようが違っていました。展示品3台の試験機に各5千部づつのカタログを用意しました。

しかしです、初日で持ち込んだカタログの約半分を消費しました。やむなく、2日目からは残った2千5百部を600部づつに仕分けして、残りの4日間用に準備して待機しました。

そして、会社から参加した営業本部長、技術本部長、技術課長、海外営業担当(尾畑)が知恵を出し合い、カタログの配布は若い学生の男女には言い訳をして決して渡さないこと、一見して30歳以上の男性に的をしぼること、60歳以上の男女にも渡さない事。でも、押し寄せてくる人垣から人選してカタログを渡すのはどだい無理なのです。何故なら、カタログを渡さないとブースの前から立ち退かないのです。立ち退かないと他の見物客に迷惑をかけてしまうので、やむなく渡してしまいます。その現場を見た他の見物人が走り寄ってきてはカタログを要求します。

中国長城計量器公司によると、来場者の内、ほんとにカタログが欲しいのは10%ぐらいではなかろうか、残りの90%は地方の高校や大学の教材に使うため、長距離の汽車に乗ってやってきて、その日の夜行で帰っていく人たちがたくさんいるのです、と。

あれから40数年が経過しました。今の中国は日本を抜いて世界第2位の経済力をそなえるまでに成長しました。当時の事を知っている私にとっては、現在の中国の国力はいったいどうやって構築したのだろうか、と思う事が多いです。

展示会は悪戦苦闘の末、何とか終わりました。主催者側の中国長城計量器公司の特別の好意で北京市からほど近い「万里の長城」を見学させてくれました。

万里の長城の一部に「八達嶺」と呼ぶ場所があり、そこへ中国長城計量器公司の社員が小型のバスを運転して連れて行ってくれました。この場所は万里の長城らしい姿を見ることができるとして、中国政府がかなり力を入れて環境整備をしていました。しかしながら、40数年前の事でしたから、観光バスが数台留まっている程度の観光地でした。現在の観光地化した盛況を思うと格段の違いを感じます。

八達嶺は、北京から約60キロ離れた居庸関の北に位置しています。幅6mほどの長城の上は休日ともなると中国国内からと海外からの観光客で押し合いへし合いの大混雑となるほど。

次の画像はネット検索で見つけた居庸関の画像です。ここへはトイレ休憩しただけでしたので、画像はありません。

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いわゆる、本来の万里の長城は八達嶺だと言われており、我々もそこを目指して狭い山道を小型バスにゆられてダラダラ坂を上っていきました。次の画像は左が技術本部長で真ん中が営業本部長です。八達嶺への入り口の広場ですが、まだまだ当時は人影もまばらで、のんびりとしていました。でも、実際に八達嶺にのぼってみると、光景はがらりと変わります。幅6メートルと言われる道には人の波が営々と連なっているからです。

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入り口の碑が壁に貼り付けてあったので、現地のスタッフと一緒に撮ってもらいました。看板の文字は薄くてよく見えませんが、「万里長城タツ峯」と書いてあります。部首シンニョウに点が二つあり、大と書かれています。意味は私の名前の「達」と同じです。つまり、通る→道が通じるということです。よって、この場所は万里の長城の入り口なのです。

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レンガ造りの建物の中に入っていくと急な階段があり、空が開けてきます。そうです、間違いなく写真でよく見た万里の長城の八達嶺に上がることができました。次の画像は私のカメラから撮ったものです。

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次の3枚は上の画像のどこかで撮ったものですが、もはやどこで撮ったのかを確定するのは不可能です。

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以上、セピア色の画像第3弾でした。

投稿者: 尾畑 達 「商2」

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2017年6月 2日 (金)

セピア色の写真ー2(アムステルダム)

先日、テレビでオランダのアムステルダムを放映していました。アムステルダムへは仕事で出かけていましたから、とても懐かしく見てしまいました。

ネット検索したら、中心街の様子が見つかりましたので、コピーしておきます。画像の上部が海です。アムステルダムは、「アムステル川に築かれたダム(堤防)」という名の通り、160本以上の運河と1500以上の橋を持つと言われるヨーロッパで一番美しい街です。

ご承知のように、街は運河で幾何学的に結ばれています。私が興味を持ったのはアムステルダムの街の原点がどんな状態だったかということです。

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次の画像をご覧ください。16世紀ごろから貿易業が盛んになり、17世紀にオランダ東インド会社の本拠地が置かれたころには、世界貿易の中心として栄えたのです。江戸時代、オランダの出島が長崎に設けられ、そこを通してヨーロッパの文明や文化が入ってきました。西の長崎、東の佐倉が医学の中心でした。佐倉はその関係でアムステルダムとは姉妹都市になっています。

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私が唯一保存している画像があります。オランダといえば、風車ですね。その風車をバックに撮ったものです。約25年前のものです。

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オランダには多くの美術館や博物館があることでも有名です。フェルメールやヤン・スデーンといった17世紀のオランダ絵画が集まる国立博物館や、世界一のゴッホ作品所蔵数を誇るゴッホ国立博物館などがあります。しかしながら、私は仕事オンリーの旅人でしたから、立ち寄ったことはありません。今にして思えば、遊び心のある、のらりくらりの会社員であってもよかったかなー、と反省しています。

記事投稿者: 尾畑 達(商2)

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2017年5月23日 (火)

セピア色の写真-1(イスタンブール)

某雑誌を読んでいたら、私が若干28歳の時にトルコのイスタンブールに商用で赴いた遠い過去の事を思い起こさせてくれました。

トルコ人と言えば、モンゴル人と西洋人の血が流れているといわれています。私が商談した相手はまさにその混血さゆえのノスタルジックな顔つきをしていたことを今でも鮮明に覚えています。ルックスは西洋人ですが、顔色がモンゴル系で、背丈もずんぐりむっくり、しかし話す英語はブリティシュ英語で、若い私は言葉で圧倒されてしまった事を今でも忘れません。

イスタンブールはボスポラス海峡をはさんで東のアジア、 西のヨーロッパにまたがる世界唯一のユニークな国際都市です。下の古地図をご覧ください。コンスタンティノープルとあるのが現在のイスタンブールです。右に大きく描かれているのがボスポラス海峡です。その左にある小さな湾が金角湾です。この金角湾の対岸に有名なガラタ塔があります。ここを行き来するためのガラタ橋があります。

金角湾について、誤解しやすいため、少し説明を加えておきます。金角湾はマルマラ海からヨーロッパ大陸に「角」のように切り込んだ東西に細長い湾で、ボスポラス海峡の西南の出口に位置する天然の良港だということです。下の古地図を眺めてもらうとよくわかります。 つまり、南は古代ギリシアのビュザンティオンの跡地であるイスタンブール旧市街で、北は東ローマ帝国とオスマン帝国の時代に西欧人の商人・使節の居留地であったガラタの町があり、丘のほぼ頂上部にはガラタ塔があります。

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47年前の事とはいえ、このガラタ橋は今でも私の脳裏に焼き付いています。

ネット検索したら、現在では徒歩で渡る事もトラムで渡る事もできるとあり、さらにこの橋は2段構造になっており、下にはレストランがビッシリ詰まっているとありました。トラムの事は全く記憶にありませんが、レストランは鮮明に覚えています。それでは、現在のガラタ橋をご覧ください。

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橋の向こう側がイスタンブールの旧市街地域です。最初に掲載した古地図では位置がさかさまですから、注意しないとこんがらがります。そうです、上の画像では手前がガラタ塔があるガラタ地区です。

イスタンブールの街の中に足を踏み入れると、その一角には何でも売っているといわれるバザールが広がっております。旧ソ連系やイラン系(いわゆるアラビック)や地元のトルコ系が入り乱れて、さながら人種のルツボでした。残念ながら、写真はありません。

上の画像の旧市街地の橋の手前の左側にモスクが見えます。その前で撮った画像が次のものです。

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さて、次の画像は旧市街地から歩いてガラタ橋へ行くための陸橋の一番高い場所から撮った写真です。写真ではわかりずらいのですが、中央部にガラタ橋が見えます。ネット検索した最新のイスタンブールの風景には陸橋は取り除かれ、立派な道がガラタ橋へつながっています。

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次の画像は、ガラタ橋をほんの少し歩いた位置から金角湾を走る船でも見ているのでしょうか。勿論、対岸はガラタ塔があるガラタ地区です。

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余談ですが、ネット検索した時に見つけた説明文を掲載しておきましょう。

「1973年には英国の会社によって黒海に抜けるボスポラス海峡に巨大な大橋が架けられました。しかし交通渋滞が慢性化するようになり、 その解消のため、日本の円借款で1988年に日本の企業により5kmほど北に第二ボスポラス橋が建設されました。

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この橋は全長1510m、中央支間長1090mの吊橋で、幅員39m(8車線)。ヨーロッパルートE80とアジアハイウェーA1をつないでおり、 ヨーロッパ側からの車に限り有料になっています。

その後、1999年にイズミール大地震を経験したトルコは日本の高い耐震技術に注目しました。そして第一ボスポラス海峡大橋など四つの大橋の 耐震工事も日本の円借款を要請して日本に依頼することになるのです。」

二回目に行った時は35歳だったし、仕事もかなりハードだったので、自由時間もなく、ホテルから客先の事務所をタクシーで往復しただけでした。でも、近代都市に生まれ変わっていったイスタンブールの街並みはしっかりと私の頭の中に残っています。今行くと、いったいどんな変貌を遂げているか、それが知りたいという気持ちもさることながら、こうして記事を書いている間中、懐かしさで胸がいっぱいになるのも事実です。

以上ですが、私にとっては47年前の出来事ではありますが、つい先日に行ったような錯覚に陥りながら、このブログを書き終えました。

投稿者: 尾畑 達(商2)

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2017年5月17日 (水)

母の日の薬草園

5月14日 母の日に薬草園にて 「立てば芍薬、坐れば牡丹、歩く姿は百合の花」 でおなじみの芍薬の講義(神田博史教授)の後、日本クレマチス協会広島支部の五弓さんによる「クレマチスの魅力と育て方」、また広島市植物公園より四名ご参加いただき実演指導していただきました。

「つる性植物の女王」 クレマチスはキンポウゲ科のツル性多年草植物(宿根草)で世界に三百種位あるとか。当日は30鉢お持ちいただき、一年に何度か開花の時期が訪れる「四季咲き」 と一度だけ花を咲かせる「一季咲き」の説明。

花の色も赤、白、ピンク、紫等多彩。花の形も一重、八重、万重、チューリップ、釣り鐘形咲きと多種多様。

またテッセンとの区別がつきませんでしたが、テッセンはクレマチスの和名ではなく日本に自生しているクレマチスの一種で、ホームセンターで販売されている園芸品種の交配親となっているそうです。

昼食はメンバーの方が数人で早朝より「サフラン飯」をつくりました、米は我が家の「黄金米とコシヒカリ交配のヒノヒカリ」を持参。

午後からはメンバーによる茶会を開催し、楽しい一日を過ごしました

  
606-神田博史教授(左)と日本でも有数のクレマチス協会広島支部の五弓さん

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590より609までは「大花威霊仙他クレマチスいろいろ」

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今年もハウスで三月より種まきから育てたトマト苗。毎日水やりと手入れ、ナス科の植物でトマト、ピーマン、シシトウ、ナス等は一番花の下のわき目は全部取ると、上に栄養がまわり良い実がつきます。

今年はトマト以外にもプリンスメロン、キュウリ、ブロッコリー、夏キャベツ、トウモロコシ等も種から育て楽しみにしています。

612-クレマチスと蘭

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夕方帰宅するとタイミング良く子供からの「母の日プレゼントでクレマチスと蘭」 が飾ってあったのにびっくり。

記事投稿者: 神守武彦(商4)

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2017年5月 4日 (木)

アルマ・ガゼットの表紙の件

最近のテレビや新聞報道によりますと、海上自衛隊の護衛艦「いずも」が話題になっています。それでアルマ・ガゼットVol.43の表紙には初代艦長が吉野敦氏(商22)であるという、衝撃的な事実が掲載されていたことを思い出しました。

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さて、本日のブログの趣旨ですが、表紙の右上にあるVol.43のすぐ下に「issued October. 01. 2015」という英語表現があります。   

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これは明らかに原稿のミスかと思われます。

1) issued の次にonがないこと
2) October. とOctoberの次に「ピリオド」がついていること
3) 01.2015と01の次に「ピリオド」がついていること。ここは「カンマ」ではないでしょうか。つまり01, 2015

世間の一般的な英語の常識から申しますと、ここの表記は「issued on October 01, 2015」となるはずですが・・・。

年一回発行の同窓会誌です。同窓生はもはや世界中に散らばっています。それを考えると、ちょっとした英語のミスは世界に活躍している同窓生に対しても、痛手となります。

私は先日同窓会事務所へメールを入れておきました。何故なら、間違いは直さなければならないと思ったからです。

メールの趣旨は「是非とも、本件を英語の担当教授に問い合わせてみてください。もし、間違いが指摘されたなら、快く善処して頂きたくお願い申しあげます。過去のアルマ・ガゼットをさかのぼっても同じような物が発見されますが、これはもう仕方がありません。でも、今後の同窓会誌は修正が可能なので、是非ともよろしくお願い致します」、というものでした。

一方、Vol.43とその下にある英文を合体させたものを「意匠」として考えるなら、たとえ英文が間違っていても、それはそれで問題はないのかなー、とも考えています。同窓会事務所はいったいどのような見解を述べてくるのでしょうか。

記事投稿者: 尾畑 達(商2)

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2017年4月27日 (木)

犯行現場見つけたり!

全国的な問題となって久しいのは「生ごみ」の処理です。私が住んでいる団地では1丁目から7丁目まで区割りされておりますので、各地域の拠点ごとに「ゴミ収集場所」が決められています。

ここ10年来、特に「生ごみ」の収集車が各拠点を回った直後に地域住民が順番で「清掃」をすることが決められました。当番表がまわってきますので、それに応じて、清掃します。清掃といっても、ごみ袋を隠す、ブルーのネットをたたんで現場にそなえつけられた収納袋に入れるぐらいで、大したことはしていません。

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でも、数年前、私が当番の時、ブルーのネットが破られ、そして生ごみを入れた茶色のビニール袋の一部も破られ、魚の骨や炒り子の出し殻、はたまた汚物水がしたたる状態のビニール物などが道路に散乱していました。掃除当番なのですから、この汚れた道路を清掃しなくてななりません。バケツに水をくみ、竹ほうきで路面をゴシゴシはいていたら、その音に近所の住民が気付き、家から出てきて手助けをしてくれました。数人がかりで、なんとか清掃し終わりました。

この犯人は猫や野良犬ではなく、きっとカラスだろうという事で手助けしてくれた皆さんの意見が一致しました。その後、中志津自治会では、ブルーネットをもう一枚追加することにより、カラス対策をしてくれました。それで、ここ数年カラスの被害にはあっていません。しかしながら、生ごみ集積場所の近くにある電柱の上にはたびたび、カラスが止まり、カーカーと縄張り争いを繰り返しています。危険信号がともった状態は昔といっこうに変わってはいないのです。

こんな話はさておき、先日団地内の「藤の花」を画像に収めるべく、団地内を広範囲に探索していました。突然、空の上から数羽のカラスの雄たけびが聞こえました。しばらくすると、空は静かになりました。

ある曲がり角に来た途端、一羽のカラスが私の頭の上を飛び越し、もうワンブロック先の曲がり角へ飛んでいきました。やがて、けたたましいカラスの鳴き声が聞こえてきました。ワンブロック先へ行って驚きました。カラスがフェンスに止まっていて、人間の姿を見ると飛んでいくはずですが、今回はフェンスに止まり頭をかしげています。

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カラスは私から約3メートルしか離れていません。こんな近くでカラスに遭遇することは先ずありません。しかも、カメラに収められるチャンスにもめぐまれました。二枚目のカラスの鋭い目を見てください。何だか、人間である私の方が気後れしそうです。

このカラスは間もなく道路に降りていきました。そう、生ごみの入ったビニール袋を破って、中から何やら「肉のかたまり」を口にくわえているようです。

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やがて、口にくわえたまま、元のフェンスに戻り、すぐにどこかへ飛んでいきました。

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私は、生ごみのブルーネットの処理に問題があることにすぐ気が付きました。生ごみがネットをかぶっていないのです。これでは、カラスの鋭い口ばしであっという間に生ごみをいれたビニール袋は破られてしまいます。この地区の人たちはもう一枚ブルーネットを自治会に要求すべきです。さもないと、今後もカラスの襲来に脅えることになるでしょう。

それにしても、カメラを持っていたのが偶然だったとはいえ、こんな光景に出くわすチャンスはめったにめぐってはきません。さっそく、写真を自治会長へ渡して対処するように頼んでおきました。

記事投稿者: 尾畑 達(商2)

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2017年4月25日 (火)

飛行機が見えるホテル

先日行った歯科医院に置いてあったある雑誌をペラペラめくっていたら、「成田空港を離着陸する飛行機を眺めながら、種類豊富なバイキングをお楽しみ頂けます」、という宣伝文句にほだされて、「マロウドインターナショナルホテル成田」へランチを食べに行ってみました。

電話で予約して、さっそくトップフロア13階のほぼ中央に位置する展望レストランへ11時過ぎに行きました。広い部屋には、まだ来客数はまばらでしたが、窓側の特等席をレストランは確保してくれていました。広いレストランの突き当りにはさらに大きなドアがあり、そのドアにはスカイレストラン 摩亜魯王洞と書かれていました。そのドアは夜に開くそうです。確かに、昼の飛行場のランプの景色よりは、夜の光景が一段とすぐれていることは想像できます。

ところで、摩亜魯王洞はどのように発音するのでしょう。ウエイターに聞いてみました。すると、ホテルの名前の通り「マロウド」の音に聞こえます。実際は「マアロウオウド」と中国式に読むそうです。

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昼食はありきたりの一品料理を頼みました。味はあまり上等ではなかったと記憶してます。でも、ビューは最高でした。

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ホテルの反対側の写真も撮っておきました。

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成田空港は完成して間もなく仕事の関係で利用し続けていましたが、こんな場所にホテルが出来たのはしりませんでした。いわゆる、第一滑走路の出発地点が目の前にあり、離陸するために各国の飛行機が、5分おきに飛べっていくのです。そのためには、順番に飛び立てるよう、飛行機が並んで待っている光景をこんな近くで見るのは、そう快でした。

投稿者: 尾畑 達(商2)

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2017年4月20日 (木)

何の木?

数年前から隣家との境目の我が家の土地の一部に高さが5メートルはある大きな植物が育ちはじめました。画像からもわかるように、葉のサイズもかなり大きくて立派です。そして、葉の茎との間には無差別に鋭い棘が無数に存在しています。ですから、この葉を食べたい動物が仮にいたとしても、この鋭い棘がじゃまをして決して食用にはさせないぞ、と言ってるみたいです。この画像は2年前の10月15日に撮影したものです。やがて、越冬するためなのか、これらの葉はすべて落葉し、長い茎だけが残りました。

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昨年の春になると、葉が出てきました。秋になると、次の画像にあるように見事に色づいていました。

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やがて落葉しましたが、長い茎は隣家の洗濯物へ接触するなど、悪影響を及ぼしたため、厚い牛革の手袋をホームセンターで買い求め、ノコギリで切り倒しました。棘のある茎を15センチ長に切断して、生ごみ用の袋にいれないと、佐倉市は処理してくれません。大変な苦労をした事を今でも思い出します。そして、身震いをします。これは2年前の秋のことでした。

でも、昨年は電気ノコギリを買い込んで、坪庭にあるモクレン、柿の木、もみじ、さつきなどと合わせて楽々と処分しました。何の気なしに、太い幹と細い幹を30センチの長さに切り取り、水をいれたバケツにつけて軒下で越冬させました。私の気持ちは、もしかしたら、この幹から新芽がでないだろうか、という淡い期待があったから、そうしたまででした。

今年の3月初めに見ると、切断した茎の横からたくさんの新芽が出ていました。

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この新芽の数だけ、茎が成長することを思うと、秋の処分が身に沁みます。よって、新芽はすべてかき落としました。こうすることで、残された一本の新芽だけが大きく成長する事が期待できるからです。

一方、バケツで越冬させた方を見ると、この2本の枝にも新芽が出てきたではありませんか。さっそく、太い茎が入るガラスの容器に移し替えました。

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これから厳しい夏を迎えますが、これらの2本の木の葉がどんな成長ぶりをみせてくれるか、とても楽しみにしています。1本は食卓の上で夜を過ごします。もう1本の木は客間のテーブルに置いています。上の二枚の画像はたまたま写真に撮るために縁側に出しましたが、これでは直射日光が葉にじかに当たるため、葉の成長によくないので、日中はカーテン越しの陰に置くことにしています。

この植物の名前がまだ解明できていませので、どのような管理をしたらよいか分からないまま、日が経つのが悔しいです。でも、本体の木はすくすくと育っているようなので、この木が枯れない限り、まだまだこの木の行く末を案じることはなかろうか、と思っています。

この木には実は不思議な事があります。花が咲かないのです。花が咲かないという事は実がならないということでもあります。ならば、どうやってこの木は子孫を残してきたのでしょう。いや、どうやって我が家に侵入してきたのでしょう。生えている場所は隣家との境にあるため決して日が当たらないし、水分も絶たれている過酷な環境下にあるのです。

記事投稿者: 尾畑 達(商2)

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