2017年2月11日 (土)

雪の幾何学模様

私の高校時代の同級生に防衛大学を卒業後、航空自衛隊のブルーインパルスを操縦をしていた男がいます。彼は一佐(昔なら大佐)で退役しました。今は、大阪の枚方の大型マンションに夫婦だけで優雅に生活しています。その彼から、本日次のようなメールが届きました。

「今朝、起きたとき、窓が明るいので、5階のベランダから下界を見ると、少々の積雪があり、急いでカメラを持って外へ出てみました。

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そして、マンションの歩道ですが、ブロックは同じ色なのに、なぜか雪の積もり方が違い、幾何学模様になっているのを発見しました。」、とあります。

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そこで、私は彼に次のようなコメントをつけました。

「歩道の3枚の幾何学模様を捕らえた画像は実に素晴らしいです。時間が経つと、あっという間に消えてしまう現象です。それを意識したかどうかは知りませんが、シャッターチャンスを逃さず、遠景、近景、接写と3態を見事にとらえた作品ですね。お見事です」。

皆さんも何か発見したら、私宛に画像と共に簡単なメッセージを送ってください。ブログへ掲載したいと思いますので。

投稿者: 尾畑 達(商2)

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2017年1月23日 (月)

H29年度1月の歴史散策ウオーク

今月の歴史散策ウオークは、昨年9月24日NHKブラタモリで紹介された宇品地区。 それによると、 現在の広島市内の中心部は戦国時代の殆どが海、三角州により発展していったもの。その模様が市内電車とともに紹介されていた。

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今回のコースは、バレーボールの猫田記念体育館をスタートして千田廟公園、広島市郷土資料館、神田神社等そして広島港までのコースを散策。

398-千田貞暁像       

千田廟公園の中にある像で広島県知事(当時は県令)、新潟、和歌山、愛知、京都、宮崎各県の知事を歴任。宇品の干拓起工や築港計画にも尽力。

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403-カルビー(株)跡地

旧糧秣支敞のモニュメントの一部にレンガの壁を保存しているが、以前はカルビー(株)があった。1964年瀬戸内海の小海老を使ったカッパえびせんはカルシウムとビタミンB1の造語であることも手伝って大ヒット。学生時代にはアルバイトの経験あり。

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410,404,405,406、411-広島市郷土資料館

館内は戦後生まれの私にとって大変懐かしい広島の伝統的地場産業、昔の生活用具が多数紹介されていた。

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記事投稿者: 神守武彦(商4)

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2017年1月13日 (金)

楽しい遊び方

テレビで見る正月番組は毎年毎年同じような番組内容なので、あまり興味がわかなくなってきました。もはや、歳のせいかもしれませんね。

そんな中、私の心をくすぐる番組がありました。「ペットボトルフリッピング」というゲームです。水を入れたペットボトルを一回転させるように空中に投げ上げ、ペットボトルの底部がテーブルの上にしっかりと立てるゲームです。画像を見た瞬間、私のような高齢者にも簡単にできそうでしたので、よしやってみよう、と決心しました。

先ずは、ペットボトル(市販の麦茶の入った大きさ525ml)へ水を入れます。水の量は1/3ぐらい。これだけの準備でOKです。早速やってみましたが、なかなかうまくいきません。動画を何回も見ているうちに、ある方式があることに気が付きました。

先ずは、投げ上げる角度、そして投げるスピードの二つがうまくかみ合った時だけにペットボトルが倒立します。

皆さんも興味があればやってみてください。きっと、楽しめますよ。リンクしておきますので、「こちらをクリック」してみてください。

記事投稿者: 尾畑 達(商2)

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2017年1月 6日 (金)

今年の心温まる賀状(2)

私の勤務先の先輩から恒例の線画が描かれた賀状が今年も届きました。賀状には「15年ほど前に描いたそば3部作です。今でも蕎麦屋さんから注文がきます」と書かれていました。

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左の線画には「石挽きの図」、真ん中が「木鉢練りの図」、そして最後が「本のしそば切りの図」という説明がついています。そういえば、三枚目の「本のしそば切り」という言葉は現代でもまだ使われていますし、蕎麦屋によっては、この作業を見せ場にしていますよね。

昨年のブログに掲載したものとはかなり異なった線画ですから、参考までに昨年のブログ「今年の心温まる賀状」をリンクしておきます。

投稿者: 尾畑 達(商2)

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2017年1月 2日 (月)

賀正 2017年

新年あけましておめでとうございます。

新春を迎え、皆様のご多幸を心よりお祈り申し上げます。本年もこのブログの運営には誠心誠意努力しますので、どうかよろしくお願い申し上げます。

なお、このブログへの記事の投稿をご希望の方は私宛にメールで原稿と画像をお送りください。メールアドレスは次の通りです。

                      obata-sndsyo.1751@nifty.com

私が住んでいる団地のある一角から見えた初日の出を撮ってみました。

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画像は縮小されていますので、画像をクリックしますと拡大表示されます。

記事投稿者: 尾畑 達(商2)

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2016年12月19日 (月)

大阪冬の陣/夏の陣 ゆかりの地探訪

今年、私が夢中になったNHK大河ドラマの「真田丸」と広島カープの優勝ドラマには、共通する感動のポイントがあるように思います。それは、豊臣秀吉への忠義を貫いた真田幸村(信繁)と、カープやカープファンへの忠義を貫いた黒田博樹が、退路を断ち、信念を持ってチームを引っ張り、全身全霊で大きな敵に立ち向かって、熱い思いで戦い抜いた男気にあると思います。大阪冬の陣と夏の陣で、真田軍が、赤供え(兵士の甲冑や旗など軍装を全て赤一色に統一)にして戦った光景は、真っ赤に染まったカープの試合風景と重なって感じます。

 

大阪歴史博物館で開催された真田丸展に行き、又、真田丸関連の様々な情報をネットで調べていくうちに、好奇心に駆られ、先日、大阪冬の陣、夏の陣ゆかりの史跡の一部を歩いてみました。

 

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 最初に、JR環状線玉造駅から5分程度歩き、宰相山公園内にある三光神社を訪れました。ここは真田丸のあった場所の一部と言われており、真田幸村像が設置されていました。像の左脇にある穴は「真田の抜穴」と呼ばれていて、大阪城まで繋がっていたという伝説があります。真田丸ブームで訪れる人が絶えませんでした。

 

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三光神社から西に250mぐらい歩くと「心眼寺」があります。ここは大坂夏の陣の7年後の1622年に、真田幸村・大助父子を弔うために建てられたお寺だそうです。ここも真田丸のあった場所の一部と言われており、門扉には真田家の家紋である六文銭が飾られ、脇には、「真田幸村 出丸城跡」と書かれた石碑がありました。

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心眼寺を出て左側に少し歩くと、「真田丸顕彰碑」がありました。

真田丸は、真田幸村が大阪城の南側に、様々な仕掛けを施して築いた出城で、1614年の大阪冬の陣では、豊臣軍10万人の兵に対し、大阪城を20万人の徳川軍に取り囲まれましたが、真田丸での攻防は、鉄壁の守りを誇り、少数の兵で、徳川の大軍を1日で散々に撃退し勝利します。 まさに今で言う 神ってる 戦いぶりであったと言えるでしょう。徳川方の戦死者は15,000人とも言われています。しかし、冬の陣の後、和議により真田丸は破壊されました。

 

真田丸は方形の台地で、最近の調査/探査から、従来の説より拡がり、東西に300m、南北に350mに及ぶ可能性があるとの新説が発表されており、大きな出城であったと推測されます。地図で見ると、このあたりは、大阪城の南外堀から約1km南に位置します。難攻不落と言われた大阪城は当時、北側、東側、西側に川や湿地帯が拡がり、しかも台地の崖の上にあることで自然の要塞に恵まれ、南側に作られた真田丸を突破しないと徳川の大軍は、大阪城に攻め入ることが困難であったようです。

 

このあたりには、真田丸にゆかりのあるせいか真田山町という住所表示があり、真田山小学校、真田山公園の他、真田山という名前がマンションやお店などにも使われていました。真田丸のあった宰相山公園の北側は空堀町という地名で、真田丸の北側に空堀を配していたことが地名の由来のようです。地名に歴史が絡んでいることに興味をそそられました。

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次に、天王寺に移動。 JR天王寺駅から徒歩10分ほどで、冬の陣では徳川家康が、夏の陣では真田幸村が本陣を置いた場所である茶臼山公園に到着しました。本陣跡に上る入口に記念碑が設置されていました。

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小高い丘の上が本陣跡で狭いスペースですが、六文銭の赤い軍旗が建てられていました。ここにも、真田丸と同じく、丸馬出しという仕掛けをつくり、出撃の拠点にしたそうです。

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最後に、茶臼山公園から250m北にある安居神社を訪ねました。ここは、「日ノ本一の兵(つわもの)と称された真田幸村の終焉の地として、境内には真田幸村の像と戦死跡の碑が建てられていました。

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1615年の大坂夏の陣で最後の戦場になった天王寺の戦いで、徳川軍155,000人に対し豊臣軍55,000人と圧倒的な兵力差にも関わらず、才知に富んだ戦いを展開し、幸村は間隙を突いて徳川家康本陣に狙いを定めて強襲し、家康が死を覚悟するところまで追い詰めましたが、想定外の事態が起きて、戦況の流れが変わり、徳川軍が次第に体制を立て直して反撃し、万策尽き追い詰められた幸村は、安居神社で力尽き最期を遂げます。

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真田幸村公之像。享年46歳、

 

今回、真田丸展で当時の書状/古文書や武具、布陣図、戦闘の様子を描いた屏風絵、美術工芸品など多くの資料、文化財を見学し、又、大阪冬の陣、夏の陣ゆかりの地の一部を歩いてみて、大河ドラマ「真田丸」を身近に感じることができました。当時の面影はほとんど残っていませんが、ドラマのシーンを回想し、400年前、このあたりで、懸命に駆け抜けた戦国武将達の生き様に思いを巡らせ、束の間の歴史ロマンに浸ることができました。この歴史ドラマが、戦国最後の英雄伝説となり、人気を博しているのは、真田幸村の生き様に多くの人が共感したからではないでしょうか。真田幸村に関連した史跡は長野県や関西にたくさんありますので、機会があれば、更に探訪してみたいと思っています。

 

 

記事投稿者: 細田 恒彦(商6

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2016年12月11日 (日)

古典菊(回顧編)

2010年11月に二回にわたって古典菊を掲載しました。「「古典菊をどうぞ!」「伝統の古典菊(H22)-2」でした。

先日、佐倉城址公園内にある植物苑に行ったところ、5年前のようにきれいには展示されていませんでしたが、展示小屋内に各種の古典菊が整然と置かれておりました。まあ、ご覧ください。

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古典菊といえども、愛好家によって継承された菊は全国にきっと散見されると思われます。2010年に掲載した古典菊をもう一度閲覧かたがた、どうぞご鑑賞ください。

記事投稿者: 尾畑 達(商2)

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2016年12月 2日 (金)

母校を訪ねて

私は中学と高校の同窓会に参加すべく、成田国際空港よりLCCに乗って広島空港へ降り立ちました。そこから、JR広島駅まで高速バスで約1時間。同窓会にはまだ時間があるので、駅前のトヨタレンタカーでアクシオをかりて、11月20日に広島修道大学へ行ってみました。

正門の横に「入学試験・・・」何やらと書かれた立て看板があるにことに気が付いたのですが、正確には読み取れず、ハーモニーロードの横の道路を上っていきました。

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当日は11月20日の日曜日なので、学生も休みです。ガラーンとした駐車場に車をおいて、あたりを見回しました。私は広島商科大学のOBなので、この地は全く知りません。よって、目につく建物が何の目的の建物か、予備知識もなく、途方に暮れていました。キャンパスガイドの立て札を見つけたのは、私が駐車場から正門に戻る途中のハーモニーロードでした。

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しかしながら、建物は番号で表示されており、右に説明書きがありましたが、私のような新参者にはいったいどこからどう進めばよいのか、全くわからないのです。やむなく、正門に戻り、立て看板の正体を確認しました。

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看板には「広島修道大学 入学試験会場」とありました。さて、母校の入学試験は日本の大学では2月の初旬という一番早い入学試験を行うので著名な大学群のはず。では、いったいなぜこんな早い時期に試験を行うのかがわからず、困っていました。その後、学内を散策するうちに次のような小さな張り紙を発見して、なーんだ、と納得しました。

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推薦入学者の入学試験だったのです。私が高校3年生の頃、ななんと58年前にさかのぼりますが、推薦入学制度そのものがはあったような、なかったような。仮にあったとしても、私のようなボンクラでは、全く縁もゆかりもない制度でしたでしょうね。

私がキャンパスに入った時間帯は朝の11時過ぎでしたから、推薦入学試験はすでに終わっていたと思われます。何故なら、バス停や駐車場のあちこちに、受験生と思われる高校生が三々五々見受けられたからです。

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我々が若かったころ、一世を風びした反戦歌「風にふかれて」を歌うアメリカの若者「ボブ・デイラン」、今年のノーベル賞を受賞したのでご存知でしょうが、その彼の影響をまともに受けた我が母校の英雄、吉田拓郎の碑を画像に収めてからは、人がいないキャンパスを手探りで一回りしました。

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アトランダムに画像を掲載しますので、お楽しみください。なお、ブログの上部(タイトルバナー)は次の6番目の画像の角度を変えて撮ったものです。

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記事投稿者: 尾畑 達(商2) 

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2016年11月11日 (金)

ESS テーブル

広島修道大学同窓大会が11月5日に広島で開催されることは、「アルマ・ガゼット Vol.44」で知っていましたし、恒例のESSテーブルが用意されることも知らされていました。かかる情報をいかにESS OB・OGが認知し、参加してもらうか、それがとても大切です。そんな折、英文2の国沢さんから、嬉しい便りを頂きました。そして、ご本人の承諾を得て、このブログへ掲載します。

記事投稿者: 尾畑 達(商2)


11月5日(土)に、リーガロイヤルホテル広島で開催された同窓大会に出席し、予約していたESSのテーブルに7名が着席しました。

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写真は右から中野伸彦(商1)、達川 奎三 (英4)、信清光弘(英3)、国沢慶喜(英2)、細田和夫(英4)、上原信治(法1)、大津章(商13)の諸氏です。

今回は、商学部16回生と人文学部3回生が還暦祝いの記念品を貰いました。そして私は抽選で、何とセブンイレブン特製のおせち三段重(税込み\16,200)が当たりました。

さらに、出席者全員がお土産に、お好み焼き4人前1袋とお好み焼き用オタフクソースを貰いました。

来年は、商学部17回生、人文学部4回生および法学部1回生が還暦祝いです。

早生まれの人は満59歳ですが、お祭り騒ぎですので、気にせずに、参加されればいいと思います。

来年もESSのテーブルを予約する計画なので、ESS OB・OGの多くの参加を切に希望します。

国沢慶喜(英2)

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2016年11月 7日 (月)

南信州の贈り物

東に3千メートルを超える南アルプス七峰(北岳-間ノ岳-塩見岳-荒川岳-赤石岳-聖岳-光岳)を望み、背には中央アルプスを受け、清く澄んだ空気の中で、はぐくみ育った果物といえば、「梨とリンゴ」でしょう。この地は伊那谷と呼ばれ、諏訪湖から一直線に飯田まで中央自動車道が南下しています。

名古屋に住んでいる義兄夫妻から伊那谷の下伊那郡松川町へ旅をしているとのメールが先日届きました。何か美味しい旬の物でもお土産に送ってくださいよ、と内心そんな思いが頭をよぎりました。

昨日の早朝、突然にクロネコヤマト便で届けられたのは、まさに頭をよぎった旬の果物なのだろうか。箱を開けると「もみがら」がいっぱいつまっており、中に何が入っているか、わかりません。私の故郷でも野菜や果物の保存にはもみ殻をつかっていましたから、なるほど、長野も同じか、と思いました。

もみ殻を手で押し分けていくと、リンゴが4個、そしてラ・フランスという梨が4個入っていました。リンゴの名前は「シナノゴールド」。名前の通り、リンゴの表皮は黄色です。これらはまさに旬の果物です。仏壇に供えてから、明日試食するつもりです。

「ラ・フランスは完熟になってくると、果肉と皮の間にうま味が出てきます。皮ごと召し上がると香り、甘味、うま味がより一層広がります」、という出荷元の「信州まつかわ」の人の手書きの小さな紙が入っていました。この果物はスーパーなど、どこでも買えると思っていましたが、果実を押してへこむようになったら、ご賞味ください、という小さなチラシを読んで初めて、ハハーン、そういうことか、と納得しました。ラ・フランスのほんとの食べ方を伝授されたような気がしますから、愉快です。

それでは、画像だけですが、どうか旬の果物をご賞味ください。

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記事投稿者: 尾畑 達(商2)

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«イヌマキの実