マンションの名称とキラキラネーム

高校の同級生に元久留米大学の名誉教授がいる。最近、彼から次のようなメールを受け取った。


「よく買い物に行くスーパーの近くに新しいマンションが建ちました。何という名前かと近づいてみると、「Boite blanche ボワット ブランシュ」と表記されています。

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白を基調とした四角の建物です。「boite」は、箱という意味の名詞です。辞書を引いて見ると、箱という意味の他に、[俗]家という意味もあります。このマンションは「白い家」とでもいうのでしょう。フランス語は形容詞、名詞の順ではなく、名詞、形容詞の順になります。

固有名詞だから、どのように命名しようが問題になることはありませんが、多くの人が辞書を引かなくては意味がわからないというのであれば、首を傾げてしまいます。

ちょっと話はそれますが、巷では難読の名前、キラキラネームが話題になっています。耳長(うさぎ)、華月姫(かぐや)などは、一度聞いたら忘れませんが、本人は将来的には苦労するでしょう。名刺を渡したとき、話題のきっかけになって場が和むという利点もあるでしょうが。」


このメールに対して、私は次のように返事を書いておいた。

「こちらでも、マンションの名前が横文字になっているのを多く見かけます。近所にマンションが建ちましたが、マンションの名前はまだ決まっていないのでしょう。大地主と思える妙齢のご婦人が不動産業者と大声で議論しているのをマロンの散歩で見かけました。ご婦人いわく、フランス語で「金持ちの住む家」がいい、だってフランス語なんて誰もわからないのだから、と主張していました。不動産業者は「今は若い者が買う時代だから、フランス語も判る人が多いので、それはやめた方がいいですよ」、とかなんとか。その後、そのマンションの名前がどう決まったかは知りません。もし、運よく近所を散策することがあれば確認してみましょう。

キラキラネームですが、先日の新聞には「戸籍の元データとなる出生届には今でも氏名の読み方を記入する欄があるが、法的な裏づけはなく、戸籍には記載されてこなかった。政府は、2024年に海外で利用が始まるマイナンバーカードへのローマ字表記や、行政手続きのデジタル化促進のため、読み仮名もカタカナで戸籍に追加することにした」、とあり、さらに「読み仮名の許容範囲を検討してきた法制審部会は最終的に、(1)戸籍法に規定は設けず、差別的、ひわいといった権利乱用や公序良俗に反するものでない限りは認める(2)戸籍法に「氏名として用いられる文字の読み方として一般に認められているものでなければならない」という規定を設ける――の2案を検討。国民へのアンケートで最も支持された(2)案の採用を決めた」とありました。

そうなると、光宇、七音、海、美富、音音、勉次、雪、愛月姫などが名前になっていると世間を騒がせているキラキラネーム群は、今後どうなるのでしょうかねー---?

彼からの返事はまだこないところをみると、返答に困っているのかもしれません。読者の皆さんはいかに!

 

投稿:バタやん(商2)

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2023年2月 1日 (水)

最近のブログの閲覧者数

ESSブログは2006年11月に開設しましたから、今年ですでに17年目に入りました。その間、色々な事がありました。でも、何とか継続させてこれたのは、ひとえに読者の方々がいらしゃったからです。それを確認するには「アクセス解析」を開くとわかるのです。例えばですが、今朝の「アクセス解析」の結果をお知らせしますと、次のようになります。サムネイル画像なので、クリックしてください。拡大します。

 

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最初の「仁井の棚田」の投稿日は2007.6.21です。次の「広島駅前今昔物語」は2016.2.24,つぎは題名はありませんが、2023.1.15の「ウイルスにやられる寸前のお話」、その次は「4年ぶりの大雪」2018.1.23,そして、「まさか、私にも・・・」は2018.9.29、最後の「チワワという犬」は2008.7.19という具合です。

これらからお分かりのように、かなり古い記事を検索して読み返している方々がいらっしゃるという事実です。アクセス解析は一週間に一回のペースで見ていますが、中には1日で20数件の閲覧者数を確認することもあります。その中にはおそらく、ESSメンバー以外の読者もたまにはいらっしゃるかとは思います。何故なら、検索ワードである「サロン・ド広島修道大学ESS同窓会」でブログの閲覧が可能だからです。

賀状にも書いておきましたが、ブログに投稿したい方は私のメールアドレスへ写真と共に原稿を送ってください。即座に対応します。

投稿: バタやん(商2)

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2023年1月15日 (日)

ウイルスにやられる寸前のお話

昨日、ある人名の検索をしていたところ、突然パソコンの画面が切り替わり、「あなたは(トロイの木馬)というウイルスに感染しそうですから、この画面の下段に表示してある電話番号にすぐ電話してください。出来れば30分以内にお願いします。遅れますと、ウイルスに感染してしまいます。」というのです。発信人はMicrosoft社だとあるので、急いで電話しました。

すると、電話口に出たの人は日本人ではなく、明らかに東南アジア系の若い男性の声でした。変なアクセントで事情を説明せよ、というのでありのままを伝えると、画面がどうなっているか、こちらから遠隔操作するので、一緒に確認しましょう、という。Microsoft社のアカウントを聞いてくるとばかり思っていたところ、全くそんなそぶりはなく、突然パソコンの画面に赤丸や矢印が表示されるので、これは「おかしい」と感づき、どうして私のパソコンに許可なく入り込んでくるのか、と聞くと「お客様、あなたのパソコンはもう完全に「トロイの木馬」にやられてしまいました。ご覧ください、あなたが使っているアプリの一覧表です。すべてに、バツ印がついています。もう少し早く電話していただいたなら、ウイルスに感染しない方法を教えることができたのに、とても残念です。でも、まだ間に合います。一緒にウイルス対策をしましょう。経費が4万円かかりますので、口座番号を教えてください。

私は「ウイルスバスターのマカフィー社と契約してるので、そこに相談します」というと、「あんな会社ではうまくいきませんよ、こちらですべてうまく駆除しますので、お任せください」、と相手の態度ががらりと変わったのです。私はマカフィー社と相談する必要があるので、貴社とはもうこれ以上お話は不必要です、と強硬な態度に出たところ、「バカやろー--」と言いながら電話が切られました。これでおわかりのように、すべてがフェイクだったのです。口座番号など銀行情報を教えていたら、その後どうなっていたか、想像がつくかと思います。

富士通のパソコンを買ったNOJIMAと相談し、悲劇が起こる前に無事解決したのは言うまでもありません。油断していると、まんまと4万円をフンダクラレるところでした。皆さんもこんな画面に遭遇したら、先ずはフエークだと疑うことが肝要かと思います。

そうそう、NOJIMAでも(トロイの木馬)で相談されるお客様が最近になって急に増えてきているとのことでしたので、ご注意くださいませ。

投稿:バタやん(商2)

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2023年1月 1日 (日)

謹賀新年

2013年という新しい年を迎えました。ESSブログの読者の皆様、あけましておめでとうございます。今年もESSブログの運営は継続させますので、昨年に引き続きご愛顧頂きますよう、よろしくお願い申し上げます。

なお、小生のメールアドレスはobata-sndsyo.1751@nifty.comですから、ブログへの投稿をご希望の方はメールで記事や画像をお送りくださいませ。

投稿:バタやん(商2)

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2022年12月27日 (火)

年賀状じまい

来年の元旦に配達される年賀状の締切日である12月25日に無事投函して、ほっとしています。それにつけ、某新聞に次のような記事が掲載されていました。

タイトルは「年賀状じまい」後悔も 心に穴 「喪中LINEない」

記事は「デジタル化や高齢化の影響で、年賀状じまいをする人が増えている。だが安易に差出をやめると、思いがけず貴重な人間関係を失ってしまうケースもあるようだ」、とあり、記事は次のようにつづきます。

.......「誰ともつながりがなくなった。元旦に何もなく、心にぽっかり穴が開いたようだ」とか、年賀状から無料通信アプリであるLINEに切り替えた人は「元気な時はよかったが、その人が亡くなったことを2年後に友人から聞かされた。喪中はがきはあっても、「喪中LINEは存在しない」と漏らしたとか。

さて、年賀状を書くにあたり、私に限ってかもしれませんが、「出したい人」と「出さなくてもよい人」をリスト化しています。出したい人は中学、高校、大学、特に親しかった会社関係者、親族は3等親までとしていますので、賀状数はだいたい100枚程度。私の健康状態がよい場合なら、このペースが守られるでしょうが、問題は相手の実態が知らされていない場合です。入院してはいないか、他界してはいないだろうか、病気になってはいないだろうかということです。それらを全く知らずに賀状を送り付ける無礼さがこの年になると、やたらと気になり始めているのです。

元ESSのメンバーでも、年賀状を辞退する人が出始めています。やめる理由は「高齢化」がほとんどです。そういう私は「今年の私は81歳になるが、パソコンが打てなくなるまで賀状作りは決してやめないぞ」、です。その理由はいたって簡単です。「俺はまだまだ生きてるよ」、とせめて賀状を交換する関係者にだけは、私の生存の証をたてることにあるからです。

人間100歳時代を迎えるにあたり、渋沢栄一は「50,60は鼻たれ小僧」という名セリフを残しています。

投稿: バタやん(商2)

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2022年12月12日 (月)

アクアイグニスと御在所岳

11月2日は昨日の雨天と違って空に雲一つない秋の晴天に恵まれた。天白区にある義兄の邸宅から義兄夫妻と私と妻は彼の愛車エステマに乗り込み高揚した気分のままアクアイグニスに向かって出発した。名古屋の中区から名古屋西JCTを経由して東名阪自動車道を走った。大河木曽川橋を通過すると間もなく揖斐長良川橋を通過して桑名から四日市JCTを下りて三重県菰野町に。ここには目的地の一つである癒しと食の総合リゾートの「アクアイグニス」がある。ここにある宿泊施設を利用して当日の夜はここに一泊する。

チェックインでちょっとしたトラブルが発生。ここは義兄が三重県のGO TO TRAVELを利用したのだが、私の妻の身分を保証する書類、例えば健康保険書とかマイナンバーカードを提示するよう要求されたが、あいにく妻は何も持ち合わせていなかったため、割安のクーポンが発行できないのだ。義兄が「そこを何とか」と若い受付嬢と交渉したが、ラチがあかない。私はついに堪忍袋の緒が切れてしまった。健康保険書は旅行が終わったらすぐにこちらへコピーをおくるから、受付だけはしてほしい。長い間待たされた結果、やっと責任者が現れ、なかなかウンと言わない。だんだんとチェックインの旅行者が我々の列の後ろに並びはじめたので、責任者はやっと「わかりました」。だったら、最初からそう言えばよいのに。「三重県がうるさいので」、と責任者は説明するが、なにも三重県の役所の人間が現場に立ち会っているわけでもないのに、高飛車にでる。こんな次第で、あまり気分がよくない旅が始まった事を自覚する。私と妻二人分のクーポンは6千円。6千円と自腹の金を出して、化粧品を買って妻は憂さをはらしたようだ。

さっそく、宿泊する部屋に案内された。まあまあの感じ。やがて、皆でアクアイグニスを散策。ここは有名シェフ監修の辻口博啓のスイーツや石窯パン、奥田政行のイタリアン、笠原祥弘の和食などが提供されるとあり、昼食は奥田政行のイタリアンにした。サイゼリアなどで食べるイタリアンとは確かに味が違う。うまかった、との印象。店内の雰囲気を次の画像から味わって頂こう。

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施設内には片岡温泉がある。これは、地下1200mより湯口で丁度42℃前後の源泉を毎分780ℓ、加水・加温・循環せずにシャワーも含め贅沢にかけ流しており、「美人の湯」と言われる。その訳は、泉質であるアルカリ性単純温泉により肌がすべすべになるからで、科学的にも不要な角質をとり“ツルツル肌”をつくる効果や毛穴の汚れをとったりメラニンを分解したりすることによる“美肌効果”が認められているからだとか。

イタリアンで昼食をとり次第、我々は次のターゲットである「御在所岳」に向かった。

ここは三重県三重郡菰野町と滋賀県東近江市の境にある標高1,212 mの山で、鈴鹿国定公園の中に位置し、日本二百名山に選定されている。

三重県側のアクアイグニスの付近にある湯の山温泉から山頂直下まで御在所ロープウェイが通じている。

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鈴鹿山脈は断層山脈のため三重県側から見た山脈の構造と滋賀県側から見た山の構造が著しく異なる。例えば、三重県側は切り立っており、そのため山稜の形もよく、各山からの眺望に優れている。御在所岳は花崗岩質が多く、太古に堆積した花崗岩が侵食により山肌に現れ、いろいろな形の巨岩・奇岩が見られるのが特徴である。ちょうど、木立は紅葉しており、なかなかの眺めであった。

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広い山頂部は御在所スキー場となっており、そのリフトを利用して、一等三角点のある西端の山頂まで行った。

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次の画像左が眺湖台と呼ばれる岩山だ。義兄がズームで撮ってくれた。そして、そこから眺めた滋賀県の琵琶湖が右の画像だ。

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かくして、我々ロートル組は御在所岳への挑戦の目的を目出度く果たし、ロープウエーで下山して、湯の山温泉に戻り、義兄のエステマに乗ってアクアイグニスに戻った。その晩は義兄の52年目の結婚をお祝いして、笠原祥弘の超高級和食を楽しみ、再度温泉につかって、就寝した。

翌朝は景色を楽しみながら、東名高速をひた走り、7時間後には我が家に無事たどり着いた。これで、今回の名古屋4泊5日の旅はつつがなく終えることができた。妻も私も長距離ドライブによく耐えたものだし、まだまだこんな旅はやれそうだ、と自信を得たのも大収穫だった。

投稿: バタやん(商2)

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2022年12月 9日 (金)

吉良町と一色さかな市場

11月1日の午前中は有松絞の町と桶狭間を見学。午後は国道23号(まるで高速道路並みの立派な国道)を南下して西尾市内にある西尾東ICを下りて忠臣蔵で知られた吉良家の菩提寺である華蔵寺(けぞうじ)へ向かう。

話題はそれるが、妻のご先祖様は赤穂藩の武士だった。そして私の祖母は宇都井の伊達家(四国の伊達家の系譜)から嫁いだ。祖母の伊達家は三次浅野藩の奥女中を務める家系。しかも、私の母校の広島修道大学を経営する修道学園は1725年、広島藩主浅野吉長が白島に「講学所」を創始したことに始まる。その後、7代目藩主浅野重晟が城内に学問所を開設。1870年、12代藩主浅野長勲は学問所を城内八丁馬場に移し「修道館」と称した。広島の礎を築いた「浅野藩」。文化や経済をはじめ、多くの功績を残した。学問にも力を注ぎ、開設したのが「修道学園」。校名は、中国の古典『中庸』の「天の命これを性といい 性に率うこれを道という 道を修めるこれを教えという」に由来する。道を修めた有為な人材を育成する修道学園。かくして、浅野藩は私の周囲に今も脈々と連なっているから、不思議な縁というものだ。

話を本筋へ戻そう。忠臣蔵では吉良家は赤穂藩にとっては正に敵。そんな関係であるにも関わらず、義兄は私の希望、華蔵寺へ行きたい、を快諾されたので実は驚いた。でも、彼の本音は華蔵寺の住職にあった時の挨拶で判明した。

それは、こうだ。「私の先祖は赤穂藩の武士でした。現在、私は名古屋に住んでおり、華蔵寺様とはとても近かったのですが、なかなかお伺いできませんでした。が、やっと願いが叶いましたので、ご挨拶にお伺いしました」。

それに対して、住職は「浅野家は尾張の信長に仕えた秀吉のご親戚だとか。それ以外は何も存じ上げておりません。」つまり、吉良家は尾張の浅野家とは家柄も違います、とそのように言われたように感じた。そもそも、吉良家の菩提寺である華蔵寺は鎌倉時代に足利氏が三河守護、吉良荘地頭を務めこの地に居住したことに由来するのだから、尾張生まれの浅野家とは年代も家柄も格式も違うのはやむをえない。正面の門構えと山裾の遠景画像と合わせて説明版をご覧あれ。

 

 

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境内に入るとさすがに歴史の重さを感じる。堅物と思えた住職がわりと簡単にお寺の中へ入ることを許可していただいたのには正直に書くといわゆる拍子抜けした感がある。

 

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境内の裏手には見事な庭園があった。

 

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蛇足ながら、目下NHKの大河ドラマは「鎌倉殿の13人」で、1205年当時の北条義時とその時代を放映中だ。北条の執権政治は新田義貞により鎌倉幕府が攻略され、やがて足利尊氏によって室町幕府が成立する。そんな時代交差の周辺を垣間見るようで、浅野家などを語る時代ではなかったようだ。よって、今回の旅はかなり時代の変遷による重圧感を強く覚えた次第。

 

次は華蔵寺からほど近い太平洋側にある「一色さかな広場」で昼食をとるため、雨の中を出発。おいしい魚の煮物を食べて満足。なんという魚だったか、メモをしなかったので、覚えていないが、今朝とれた近海魚だったと思う。

 

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今回の投稿に際して、Googleの地図を掲載しておく。例によって、赤い提灯模様の札が立っているのが、上から有松、桶狭間、華蔵寺、一色さかな広場だ。これで、私の11月1日の旅程表にある行動パターンが読み取れると思う。

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次回はアクアイグニスと御在所だ。乞うご期待。

 

 

投稿: バタやん(商2)

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2022年12月 2日 (金)

旧東海道沿い(国道一号線)の旅(有松・鳴海、桶狭間)

東海地区の旧東海道(ほぼ国道1号線上)は浜名湖を経由して豊橋、豊川、岡崎、知立、刈谷そして40番目の有松へと続く。有松といえば、400年以上の歴史があり、国の伝統工芸品にも指定されている「有松鳴海絞り」が有名。「東海道中膝栗毛」では、弥次さん喜多さんが買い物をした話が書かれているほど、人気のお土産品だったようだ。当日は残念ながら雨天だったので、街歩きはできなかったが、車でゆっくりと走ってみると、立派な豪商の商家がいくつも立ち並び、活気にあふれていたであろうかつての景色を垣間見ることができた。

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有松・鳴海絞りは、400年以上の歴史を誇り、国の伝統工芸品にも指定されている。日本国内における絞り製品の大半を生産しており、今では全国の百貨店・呉服店等で売られている。絞技法は100種にも及び製品も絹・綿・化繊に絞りをして伝統の手法を今日に伝えている。「有松・鳴海絞会館」をリンクしておくので、中に入って詳細をご覧あれ。

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次の一枚目の画像の右上には当時の天皇・皇后両陛下がこの地を訪れられた写真のようだ。

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現在も、絞の作業者が見学者の為に実演していた。

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次の画像は絞作品とはいえ、襖にトラの絵が展示されていた。あまりにもユニークなので、掲載しておこう。

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有松のすぐ近くには桶狭間古戦場跡があるので、行ってみた。私の本箱には山岡荘八の織田信長(2)に桶狭間の巻がある。満員電車に乗りながら若い時の通勤時にむさぼり読んだものだ。だから、死ぬまでに一度は現場に行ってみたい念願が80歳になってやっとかなった次第。

「天下を狙う駿府の今川義元は、遂に総力をあげて美々しく上洛の旅についた。尾張など眼中にない。抵抗すればもみ潰せ。屈服か、滅亡覚悟の抗戦か。信長は秘策を胸に動じない。だか、義元が桶狭間に入ったと聞くや、者ども続け、と飛び出した。折から暴風雨襲来。天は革命児・信長に味方した。」これがその本の裏表紙に書かれている。

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上の5枚目の竹林だが、ここがどうやら現存している桶狭間の風景の一部らしい。昭和の初期の現場の写真が検索できたので合わせて掲載。


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投稿:バタやん(商2)

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2022年11月19日 (土)

久しぶりの名古屋旅行

数カ月前に名古屋にいる義兄から遊びにこないか、と誘われていた。コロナ禍ではあるが政府の規制が緩和されたこともあり、思い切って旅をすることにした。新幹線にするかマイカーにするかマロンを連れて行くかどうか、いづれも迷いに迷い、結局マロンは市内にあるペットホテルに預けることにして、小荷物類はマイカーで運ぶいつものパターンで3泊4日の日程が決定した。義兄が名古屋周辺を散策する素案を作成し、それを検討した結果をエクセルに落とし、義兄にメールしたものが次のファイルだ。クリックしてダウンロードしてください。

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出発日は10月31日(月)にペットホテルにマロンを預けて佐倉IC(東関東自動車道)に乗ったのが10:30ごろ。5年ぶりに走る東名高速だ。秋空の晴天はまことに穏やかで気分はすこぶるさわやかだ。御殿場をすぎた所で道路工事により新東名高速道路へ迂回させられた。そのぶん、富士山がぐーんと近くに見える。これは、晴天の東名を走る時にだけ得られる役得というもの。

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新東名は東名とやや平行して走る関係にあるが、岡崎あたりから大きく北へ離れ豊田JCTで東名と合流、上社(かみやしろ)JCTで名古屋第二環状自動車道へ入り、植田で降りたら目的地の天白区は目と鼻の先にある。昔は、上社から国道59号線を走ったが、あの時の混雑ぶりはまるで悪夢のようだった。予定通り、義兄夫婦が待つ天白住宅に無事たどり着いた。合計で約6時間のマイカー旅行だった。若かったころは、5時間とちょっとぐらいで天白区に到着したものだが、今回はさすがに無茶(時速140キロ以上)はしなかったし、できなかった。むしろ、途中の駿河湾沼津SA, 掛川PA, 遠州森町PA, 長篠設楽原PAなどの地名を楽しみながら、ゆったり80-100キロのペースを守りつつ走ったため、体力的な疲れは多少はあったが、精神的な疲れは全く感じなかった。

往復の走行距離は約806.2キロ。平均燃費は20.9㎞/リットル。806.2÷20.9=消費したガソリンで、38.5リッター。これはカムリの満タンは50リッターなので、その77%ぐらいだ。中古のカムリとはいえ、ハイブリッド仕様のなせる業だろう。次の計器をご覧あれ。

 

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自宅を出発して名古屋から帰宅した時のメーター表示の結果だ。右の計器ではガソリンの使用量と残量を表すEとFで、その下がTRIP距離で806.2kmを表示している。真ん中の計器は航続可能距離がまだ205kmあり、平均燃費が20.9km/Lを示している。

 

早い話、ENEOSで買ったレギュラーガソリンが当時156円、消費したガソリン量が計算上は38.5リットルなので、ちょうど6千円ぐらいだ。東名高速料金はなんだかんだと往復で約2万円。自動車関連の往復経費の総額は夫婦2人でなななんと2万6千円ぐらい。

 

新幹線の「のぞみ」で計算すると、乗車券と座席指定まで入れると11,100円だから、夫婦2人だとちょうど22,200円になる。往復だと44,400円だ。志津の私邸から東京駅までの電車賃は往復2人で約4,280円。我が家から東京駅を経由して名古屋を往復すると、結局44,400円+4,280円=48,680円也。よって、単純計算だと48,680円ー26,000円=22,680円の節約。

 

さらに書けば、自宅からバス停車場のショッピングセンターまでの徒歩5分、志津駅から次の船橋駅での階段の上り下り、そしてJR東京駅では荷物を持って歩いたりエスカレーターへの乗り換えなどの難儀を考慮しなければならない。これが寄る年波にはとてもとても辛い仕儀になる。特に、足腰がからっきし弱くなり、しかも後期高齢者になったばかりの妻にはこの仕儀はお金に換えられぬ難渋となる。マイカーでの東名高速より新幹線の旅の方が楽だと言われるが、長時間乗るマイカーでの旅は結果的には「辛かったけど、気楽な旅」だったと妻も言う。



次回は名古屋とその近郊の旅を掲載予定。

 

 

投稿: バタやん(商2)

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2022年7月12日 (火)

80歳のお買いもの

トヨタでは現在レキサスやクラウンが最高級車として君臨していますが、トヨタ中研OBの義兄によりますと、もともと彼のチームがウインダムとクラウンを母体にしてレキサスの原型をデザインしていたようです。そんなおり、18年間乗り続けた私の愛車ウインダムが15万キロ弱の走行距離をもって、終焉をむかえました。あと5年ぐらいは乗れると信じていましたが、寄る年波には勝てなかったようです。

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ウインダムの燃費は1リットルで56キロでした。燃費面を考えますと1リットルで23.4キロという途方もない能力を持っている車はウインダムの弟分であるカムリです。このカムリはハイブリッドなので、こんなバカげた高燃費が出せるのです。そのため、アメリカ市場では15年間も販売台数第一位を維持していたのがトヨタの自慢でした。新車の納期は1年から1年半後だというので、驚きました。私にはウインダムを足代わりに乗っていましたから、車無しの生活は考えられません。

私はせいぜい85歳までは運転できると自覚していますから、ウインダムの後継車は中古のカムリでよいと決心しました。そこで、トヨタの営業マンに安くて良い中古のカムリを探させましたところ、9年落ちのカムリを見つけてくれました。まだ5万キロしか走っていません。

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ウインダムは高級なコイルスプリングが搭載されていたので、クッション性は抜群によかったのですが、カムリはウインダムと比べると、居住性が少し落ちます。でも、もう遠出はほとんどできませんから、ちょうどよい車だと満足しています。

 

投稿: バタやん(商2)

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