2017年12月 7日 (木)

成田のウナギ

浜名湖で食べ損ねた「ウナギ」をどうしても食べたいという衝動にかられ、成田山の門前町にあるウナギの名店「川豊」へ出かけました。マイカーなら我が家から片道約40分という場所です。最低、毎年1-2回は来ていますから、そんなに新鮮さは感じませんが、ブログに掲載するのは初めてです。

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新勝寺のHPによれば:

「成田山新勝寺は、平安期、天皇より命じられ、御護摩祈祷によって、平将門の乱を収束させたという開山縁起を持ちます。開山以来、当山では一日も欠かさず御護摩祈祷を続けてまいりました。毎日、多くのご参詣の皆さまの悩みや願いごとの成就をお祈りしています。」

その門前町に広がる商店街は平安時代からある街並みですから、歴史的建造物もきっとたくさんあるのではないでしょうか。ひときわ目に入るのが古い旅館です。明治時代のメトロ映画のシーンによく見かける景色だとは思いませんか?

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さて、本題にはいりましょう。成田山がある場所はフナ、鯉、ドジョウ、そしてウナギの産地として古くから知られている印旛沼が近くにあることから、そんな魚を材料にした加工食品を売る店がずらりと並んでいます。ここは仲之町といい、江戸時代より成田山詣での旅人で賑わった門前町の風情を色濃く残すエリア。

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上の画像の少し坂を上った左側に3階建ての建物が目的地の「川豊」です。先ずは、店の前の行列をご覧ください。すごい反響ですね。今回は一階と二階だけを開放していましたが、夏になると三階も開放してくれます。ここは大正6年に建てられた旅籠で、純日本風家屋です。

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うなぎには、ビタミンAとEが多量に含まれている栄養満点の食材です。ビタミンAはチーズの4倍、卵の約8倍も含まれ、ビタミンEは卵の3倍、チーズの6倍も含まれています。

店の入り口には4人の若い男性がウナギをさばいています。誠に見事な手さばきです。さばいたウナギを串にさしています。ここは夏はカンカン照りの暑さ、もちろん冬になると寒い北風が成田山方面からふきあがってきる場所です。来ている服装も画像からみるように、半そでです。足にアンカでもあるかと覗いてみましたが、そんな暖房装置はないようです。約2分間で1匹のウナギをさばいて串にさすそうです。手袋をして滑り止めをしている様子はありません。全員が素手です。まあ、職業技とでも申しましょうか。まな板もすごいです。材質は樹齢5-6百年の「銀杏の木」で、板厚は約15センチで長さは3メートルぐらいで幅は90センチから1メートルもある一枚板です。

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さばいたウナギが入り口の右側にある部屋で焼かれています。もうもうと煙が出ています。この煙が道路にまで出ています。その様子が上の二枚目の画像から想像がつくかと思います。

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30分ぐらいは待たされましたが、妻と私はやっと一階の入り口のテーブルへ案内されましたが、部屋の奥の方に4人掛けの座敷用テーブルが間もなく空くことがわかりましたので、待つことにしました。

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4人用のテーブルで2人となると、もう2人全く知らない他人と同席する可能性があります。そこで、2人だけにして欲しいと案内人に頼みましたら、意外や簡単に「いいですよ!」。驚きましたねー。そうなると、食べたらすぐに席を空けてあげたくなるのが人情というもの。案内人はそれを先刻知っているかのような目つきです。こちらも、素直に「了解」と親指を立てました。無事に奥の座敷に落ち着いて入り口方面を見たものが次の画像です。
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この盛況ぶりは「土曜スペシャル ぽかぽか春爛漫!房総半島ぐるり一周ドライブ旅」テレビ東京(3月5日放送)とか「路線バスで寄り道の旅」テレビ朝日(3月13日放送)とか「昼めし旅」テレビ東京(8月29日放送)とか「歴史の道歩き旅」テレビ東京(9月8日放送)で放映されていますので、この位置からの光景は懐かしく感じます。

さて、いよいよ頼んだ「ウナギ」がでてきました。

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今年最後のウナギにありつきました。食べると、ウナギの脂が口の中に溶けていきます。町の店で食べるウナギとは本体の新鮮さ、絞め方、焼き方、タレなどのもろもろが違うため、当然のことながらすべて雲泥の差があります。

こんなおいしい食べ物が日本にあることを知った隣国が「ウナギ狩り」を始めたらしいです。大相撲も外国人が入り込んでしまい、もはや国技とはいえず、ウナギもやがては食べつくされてしまう恐れもでてきます。ウナギが絶滅する前に、ウナギの味を忘れないようにするため、これからもきっと「川豊」へ足を運ぶでしょう。

記事投稿者: 尾畑 達(商2)

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2017年11月30日 (木)

名峰富士山編

「諏訪湖畔編」に続き名峰富士山集を掲載します。

今回の旅の大枠なルートは東名高速の足柄SAから沼津⇔熱海⇒富士川⇒浜名湖⇒多治見⇒諏訪⇒大月JCT⇒山中湖⇒須走⇒御殿場⇒東京湾アクアライン⇒館山自動車道⇒自宅でした。

このルートを走行中に富士山が見える場所は「静岡側の表富士」とよばれる御殿場、足柄SA,富士川SA、そして「山梨川の裏富士」と呼ばれる山中湖、須走の各拠点でした。

今回の旅は晴天に恵まれたにも関わらず、意識して富士山を撮らなかったのがとても悔やまれます。でも、あえて各拠点で最小限度の画像だけは撮りましたので、それをご欄頂きたいと思います。

往路での富士山は何といっても足柄SAから見た富士山です。

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皆さんもよくご存じの新幹線から見る富士山としては日本一の景観だといわれる田子の浦の位置から見る富士山ですが、私の場合は東名高速道路からの眺めをカメラに収めることは技術的に無理でした。

よって、セカンドナンバーワンと言われる富士川SAでの画像を紹介することにします。下の最初の画像は私のカメラのものですが、同じ位置から撮ったと思われるネット画像と比べてみてください。私の画像は新幹線を入れておりますが、下のネット画像は富士川を入れています。

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突然ですが、富士川と言えば、平家物語では、平家軍5万が源頼朝追討のため、京から鎌倉へ進撃し、頼朝はこれに応じて20万騎を従え西進します。

治承4年(1180)10月18日、黄瀬川(静岡)で甲斐の武田軍と合流。富士川(富士川の右が静岡)を挟んで対陣したのです。

10月19日の夜、甲斐源氏の武田信義がひそかに対岸の陣の平氏へ奇襲をかけようと富士川を渡ろうとした時、水鳥がいっせいに飛び立ち、その羽音に驚いた平氏の軍は一戦も交えないで京都へ退散してしまった、という有名な話があります。

蛇足に小生を映したものも掲載しておきます。撮影場所は上の画像と全く同じ位置です。富士山の手前の山からもお判りだと思います。なお、上の画像には白い雲がかかっていますが、わずか数分後に撮った小生の画像の雲の位置を比べてみてください。あっと言う間に右から大きな白い雲が風に流されてやってきたことが伺えます。3千メートル上空の風の流れを読み取ることができます。

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復路では山梨側の裏富士山を紹介しましょう。須走からの画像です。11月6日の朝10:15に撮ったものです。須走ICは大月JCTから東富士五湖道路(有料)から御殿場までをつなぐ国道138号線との接点にあたります。時間的にはカメラを持った私の背中が太陽が昇っている東側にあたりますので、富士山は朝日をあびている真っ最中ということになります。この日も快晴でした。

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最後は御殿場から見た富士山ですが、手前に山林があり山が隠れてしまってますので、いいアングルではありませんが、これしか撮っていませんので、あしからずご容赦願います。

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この記事をもって、私の今回の旅は終了します。おつきあい頂き感謝申し上げます。

記事投稿者: 尾畑 達(商2)

PS: なお、昔のブログで「晩秋の富士山」を掲載しましたので、そちらも合わせてご覧ください。

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2017年11月26日 (日)

諏訪湖畔編

「長野県松川町滞在記」に引き続き、今回の旅の最終目的地である諏訪湖の旅を「諏訪湖畔編」と題して投稿します。

中央道 松川ICから8月に行った伊那、南箕輪町などの看板を懐かしく見ながら一路諏訪湖へ車を走らせました。岡谷JCTを抜けると間もなく諏訪湖SAです。ここは少し高台にありますので、そこから見る諏訪湖は筆舌に尽くしがたい眺めです。しばらく湖面を眺めながら時間を過ごしました。

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私には「葛飾北斎の富嶽三十六景 信州諏訪湖」が頭に浮かんでは消え、浮かんでは消えていきます。

遠景に見える城は高島城です。私が泊まったホテルから歩いて15分ぐらいの場所にあり、行くつもりでいました。でも、風邪気味だったため、高島城がある場所の真裏にあるドラッグストアーまでは行ったのですが、夕方でもあり、寒気も強くなり、諦めてホテルへ帰りました。望遠画像が一枚だけありますので、それを掲載します。電線が邪魔しているため、お化けみたいな高島城になりました。

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詳細は「諏訪市のHPにある諏訪高島城」をご覧ください。

昔は諏訪湖に突き出した水城にあり「諏訪の浮城」と呼ばれ、さらには松江城、膳所城、そして高島城を日本三大湖城と呼ばれています。湖城とは、湖の沿岸に建てられた城のことです。ちなみに、松江城は宍道湖、膳所城は琵琶湖、高島城は諏訪湖の湖岸に築かれています。

話は前後しますが、諏訪湖SAをおりるとすぐに諏訪湖ICです。今晩泊まるのは「諏訪レイクサイドホテル」ですが、チェックインまでにはかなり時間がありますので、予定していた「諏訪大社」へ車を走らせました。

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諏訪大社の歴史は大変古く古事記の中では出雲を舞台に国譲りに反対して諏訪までやってきて、そこに国を築いたとのことです。

私には壮大な出雲大社のイメージが強く、初めて見るとは言え、諏訪大社があまりにも小じんまりとした建造物なので、少々驚きました。今回行ったのは上社本宮だけです。その近くに、上社前宮、そして諏訪湖の北には下社秋宮、下社春宮があるのですが時間の制約があるため、行けませんでした。

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上社本宮は境内へ入って左の一番奥にありましたので、お賽銭をあげて本宮の中をよくよく見ると正装した宮司さんを一人見る事ができました。時間が11月5日の3時だったので、宮司さんのお勤め時間だったようです。ラッキーでした。

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ところで、諏訪大社といえば直径1m長さ17mの巨木を山から切り出してくる「御柱祭」が有名です。その御柱が一本立ててありました。近くで見るとほんとに直径は1mぐらいありそうです。御柱の前にいる女性は1-2mは離れて立っていましたから、そんなに太い木には見えないかもしれません。

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諏訪大社の周囲がわかるように入り口の遠景とか境内の様子を掲載しておきます。

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諏訪大社が水の守護神としても広く崇敬されている証拠が水神の竜です。

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「信濃国一之宮諏訪大社」のHPをリンクしておきますので、詳細はそちらからどうぞ。

3日目の旅は諏訪湖畔のホテルで心安らかに眠りに入りました。

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翌朝の11月6日も晴天に恵まれました。6時には目が覚めホテルを出て、湖畔を散歩しました。

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さあ、これからいよいよ我が家に帰る時間がやってきました。しかし、米大統領来日中のため都内ではあちらこちらに交通規制がしかれている事を新聞で知っていました。

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その結果、八王子から高井戸、新宿へのルートが使えないのです。よって、私が使いたかった湾岸線もダメです。やむなく、大月JCTから富士吉田、山中湖、御殿場から東名高速に入り、海老名JCTを通過して横浜町田ICまで走り、そこからいったん国道16号へおりて、東京湾アクアラインを通り、館山自動車道から我が家に帰るルートをカーナビに設定しました。

これが、今回の旅路の最終だと思い、意気揚々と車を走らせました。須走ICでは富士山を真正面にみることができましたし、御殿場でもゆっくりと富士山を見る事ができました。このルートに満足していました。

ところが、魔の展開が待っていました。私のカーナビはすでに16年使っていますから、最近の交通事情を正しく反映したソフトではなかったのです。それに気が付いたのは国道16号から横浜ベイブリッジへ入るには横浜の街や川崎の街を走る在来線、いわゆる国道1号線を経由しないと東京湾アクアラインへたどりつけないことが画面の表示でわかった時でした。

16号も1号も今や片道二車線のトラック専用の産業道路になっており、乗用車はほとんど見かけず、しかも大型トラックに挟まれる格好になり、前方を右折するにも進路変更が怖い難所となっていました。ほんとにトラックに挟まれてクラッシュした私の車がテレビに放映される怖さに脅えてしまいました。

でも、運転歴53年の熟練のドライバーを自負していた私は勇気を振り絞って、酷道を走り抜け、何とか東京湾アクアラインへたどり着きました。

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アクアラインを走り抜け、館山自動車道の市原SAで最後のコーヒーブレークをとりました。

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こうして今回の11月3日~5日の3泊4日の旅は何事もなく、ほんとに無事終えることができました。多少の疲れはまだ残ってはいますが、メンタルなことだけです。フィジカル的にはこれまで通り可もなく不可もなく、大丈夫の世界に戻っています。

投稿者:尾畑 達(商2)

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2017年11月23日 (木)

長野県松川町滞在記

「旧中山道 馬籠宿」に引き続き、今回は長野県松川町滞在記です。

馬籠宿を出発したのは11月5日の9時半ごろ。次の目的地である中央道の松川ICまでは時間にして50分程度。馬籠宿からもよく見えていた恵那山のふもとは濃い霧に覆われていました。霧が出ると、その日は晴天!運が回ってきたと感じつつ、愛車を走らせました。

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阿智方面に向かうと、すぐに長ーい長い恵那山トンネル(約10km)に入ります。飯田ICをすぎると間もなく目的地の松川ICです。進行右手には雄大な南アルプス(赤石山脈)が横たわっているのが目にはいります。

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義兄との待ち合わせ場所は信州松川温泉にある清流苑です。朝霧のおかげで予想通り、空は真っ青です。

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約束の11時より30分も早く到着しましたので、私は松川温泉に入りました。そこには、大浴場、天然温泉、ラジウムイオン鉱物和泉、露天風呂、サウナ風呂とかなり種類が豊富な温泉施設がありました。馬籠宿で汗をかいた体を朝ぶろでさっぱりさせ、気分転換をしました。とても肌触りのよい温泉でした。

例によって、余談です。NHKの大河ドラマ「おんな城主 直虎」を皆さんもご覧になっていることでしょう。このドラマの前半部に登場する直虎のいいなずけ「亀之丞」を覚えていますか。実はこの亀之丞の父が今川氏に殺され、同じく命を狙われたため、遠くはなれた信州市田郷の松源寺に逃れ、12年間、この地の領主、松岡氏の庇護の下で過ごしたという史実があります。清流苑から松源寺までは車で15分。ほんとうは、温泉になぞ入らずに、こちらへ行けばよかったと後悔しています。

さて、義兄夫婦と二名の教会の関係者(女性)と合流して清流苑内のレストランで食事をとりました。義兄が推奨する南信州ならではの「ゴボウ丼」を全員が注文しました。私は目下歯の治療中でしたから、「ゴボウ」と聞いただけで「こりゃあ、ダメだ」と思ったのですが、義兄の顔を立てて、黙って運ばれたゴボウ丼を食べました。

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しかし、通常のゴボウは繊維質が多く、歯の悪い私には食べられないと覚悟していましたが、なんとその不審は一口食べてあっというまに払拭されてしまいました。不思議なことにゴボウがとても柔らかいのです。写真から見ても一瞬「固い食べ物」を想像させます。味はとても美味。この店で一番人気があるというのがよくわかりました。

なお、このゴボウは松川ゴボウといい、この地区でしか栽培されず、産量もあまりないとのこと。したがって、この松川ゴボウはこのレストランでしか賞味できないとのことでした。

一方、松川町は長野を代表するリンゴの産地です。義兄はそのリンゴを目当てに我々を誘ったようです。昼食後、さっそく車で10分の所へ行きました。広大なリンゴ園の中を走り抜けると、関農園という小さな店に到着しました。

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店内にはリンゴが青いバケツの中にビニール袋に入れられて沢山並べられておりました。1山千円で売られています。

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私は歯が悪いので、リンゴはあまり食べられません。でも、義兄のせっかくの紹介なので、「シナノゴールド」など数種類のリンゴを3山だけ買いました。一山が10数個ありますから、わが家に持ち帰っても、いったいいつ完食できるか、見当もつきません。

道路の反対側には一本の柿木が目に入りました。柿は今まさに熟しており地上に落ちてしまいそうです。

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義兄たちはこれから伊那ICから旧中山道に入り、奈良井宿に行くと知り、我々は松川でお別れし、最後の目的地である諏訪湖へ向かいました。

次回は諏訪湖編です。

投稿者: 尾畑 達(商2)

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2017年11月20日 (月)

旧中山道 馬籠宿

東海道の旅 2/2 (多治見)で私の本当の旅の目的を達成しました。今回は多治見からの旅日記を掲載します。題して、「旧中山道 馬籠宿」です。

11月4日(土曜日)。中国人の団体客による混雑を避けるため、朝の6時に朝食をとりましたので、すぐ出発しても11時に義兄と落ち合う中央道にある松川温泉(多治見と諏訪のほぼ中間地点)には時間が余ります。

松川ICまでには屏風山、恵那峡、神坂などの景勝地が点在していますから、そのどこかに立ち寄ることも事も考えられました。一方、今年の8月に旧中山道の奈良井宿に行きました。旧中山道には他に木曽福島宿とか妻籠宿があり、どちらも行ったことがあります。特に、妻籠宿は馬籠宿につながっており、是非歩きたかったのですが、時間がなくなり、馬籠宿へ行くことを諦めたいきさつがあります。今回は時間的に見たら、馬籠宿にいく絶好のチャンスです。迷わず、馬籠宿へ行く決心をしました。

余談ですが、早朝の多治見の街をマイカーで走っていて気が付いたことがあります。電線がないのです。歴史の観光地である佐倉も電線を地下にもぐらせ美観を提供していますから、何も珍しい現象ではありません。

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そして、多治見といえば何といっても陶器の街。「土と炎」と書かれた看板をあげたビルが丘の上に見えました。これは「美濃焼で知られる一大陶産地・美濃で、3年に1度の陶磁器の祭典「国際陶磁器フェスティバル美濃」が開催される。今年で10回目を迎えるフェスティバルのテーマは「土と炎の国際交流」、そのようなパンフレットが泊まったホテルに置いてありました。ブラタモリでも先日放映してましたから、見られた方は合点がいくでしょう。

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さて、本題にもどしましょう。馬籠宿と妻籠宿の間は距離にして約10km。しかしながら、徒歩だと3-4時間はかかるので、走破することは時間的にも不可能。よって、最寄りの馬籠宿の入り口だけでもと思い、車を走らせました。

標高はいくらかわかりませんが、神坂PAから立派に舗装された坂道を上がり、たどりついた場所が馬籠宿の入り口です。

下に掲載した2枚目の画像でもお判りのように横に長い「馬籠館」の正面には「中山道 馬籠宿 江戸 八十里半、京 五十二里半」と書かれた立派な石柱が立っています。家康時代に建てられたもので、時代のロマンを感じさせます。

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この道路の反対側には近代的な常夜灯がありました。

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中山道の最難所といわれた木曽路に開けた2つの宿場町、馬籠宿と妻籠宿は、今日でも世界中の旅人のオアシスとして賑わっています。その証拠に、バス停では海外から来た観光客の集団がバスを待っています。

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この入り口から丘の方へ上っていく石畳の小路があります。ここから旅人は約10km離れた妻籠宿へ3-4時間かけて上っていくのです。雨の日や雪の日、太陽が照る夏の暑い日、旅人は黙々と歩いていったのでしょう。

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ここは、「木曽路はすべて山の中である」で始まる小説『夜明け前』の著者、文豪・島崎藤村の生誕の地でもあり、藤村ゆかりのみどころがあり、特に最近注目されているのが、つぎの一文です。

「血につながる、心につながる、ことばにつながる、ふるさとがある」。

この経緯は次のように解説されています。

晩年馬籠に帰郷した藤村が神坂小学校の講堂で壇上に上がったが、なかなか語を発しない。集まった誰もがどんな事が語られるのかと、
その深い沈黙の中で一身に耳を傾けて藤村の最初の語を待っていた。暫くして、藤村がぽそりとこの一文を語った。
沈黙の空間は静かな感動に溢れ、沈黙の空間は多くの静かな美しい涙で溢れた。

なお、馬籠宿の詳細は「中山道木曽路馬籠宿 馬籠観光協会のオフィシャルサイト」をリンクしておきますので、そちらをご覧ください。

次回は長野県松川町の松川温泉とリンゴ園です。

投稿者: 尾畑 達(商2)

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2017年11月18日 (土)

東海道の旅 (2/2)、 多治見編

東海道の旅( 1/2)、 熱海編に引き続き本日は東名高速の沼津から多治見までの旅の出来事を書きます。

沼津から静岡方面に走る場合、常に進行右側には名峰富士山が見え隠れします。特に富士川SAからの富士山の眺めは筆舌に尽くしがたい素晴らしいの一言です。

浮世絵で有名な由比ガ浜、美保の松原が美しいい清水港、ちょっと高台にあり駿河湾と富士山が眺められる日本平PA。高速道路とは無関係ですが、日本平の裏側にあたる駿河湾沿いには家康を祀った「久能山東照宮」があります。昔、訪れましたので、ネットで画像を拝借。

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やがて、安部川の長い橋を渡ると、すぐに日本坂トンネルです。そこを抜けますと日本坂PAです。牧之原SA、三方ヶ原SAを過ぎると、次は浜名湖SAです。ここは私が若いころ何回も立ち寄った場所ですから、とても懐かしい場所です。今回もコーヒーブレークと昼食を兼ねて、立ち寄りました。

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浜名湖のウナギが食べたかったのですが、目玉がとびでるほど高価です。浜名湖では以前のよう大量にウナギがとれないのが原因のようです。やむなく、ありきたりの食事に切り替え、次の目的地へ愛車を走らせました。

ミカンで有名な三ケ日ICから三遠道路に入ります。終点には紅葉の名所として名高い「鳳来寺山」があります。昔、この場所へ行ったことがありますのでとても懐かしいです。しばらく走ると、岡崎SAです。

岡崎は過去、数回訪れています。ここは言わずと知れた徳川家康の生誕地です。家康には男の子供が11人そして娘が5人いました。佐倉市には江戸時代の下総佐倉藩の城址があります。家康はこの佐倉を5男と6男に統治させた記録が残っています。

岡崎を過ぎるともうまもなく多治見ICです。そこを下りると目的地の多治見市です。ちょうど13時ごろに到着。ホテルのチェックイン時間は14時だったのですが、事情を話して受け付けてもらいました。

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荷物を部屋に運びこみ、気が付いたらもう13:20。こんなこともあるだろうと予期して多治見教会大聖堂に近いホテルを予約しておいたのが功を奏しました。教会へは13:30頃に到着。

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開演時間が13:45だったので、きわどくセーフ。義兄夫婦が正面玄関の横で我々の到着を待ってくれていました。一言二言話して、我々は観衆で埋まった大聖堂へ向かいました。動いているのはカメラマンらしき男性だけでした。観衆は静寂を保って着席しています。

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大聖堂の入り口の真上にあたる二階にはパイプオルガンがあり、その周囲に義兄たち夫婦や各カトリック教会の合唱団員が約20名並んでいます。名古屋芸術家協会員の女性が指揮者で、パイプオルガン奏者はヤコブイライチャー神父と林友香さん、フルートは名古屋笛の会副会長、テノールの独唱者は名古屋二期会の男性、二人のソプラノ歌手。そして、ナレーションは高齢の御婦人で児童への朗読指導者そしてもう一人がむすび座人形劇団員(60歳後半の男性)が演じました。二人は素人とは思えないほど高品質のナレーションでしたから、コンサートをぐぐーっと引き締めました。

テーマは「歌と語りによる細川ガラシャ。その信仰と生涯」です。

ナレーターが細川ガラシャの生い立ちなどを語り始めます。一息いれた時に二階のパイプオルガンと共に賛美歌のようなメロデイーで大合唱が始まります。大聖堂に響き渡る音楽と歌が観衆の心をわしづかみにします。やがて、次から次へとナレーターと合唱が繰り返されて、物語が進行します。

義兄のテノールは合唱団のリードボーカリストとしての声量が会場に響き渡ります。さすが学生時代にグリークラブで鍛えただけあって、リズムと音程の安定感を観衆に与えます。

コンサートの内容ですが、会場で配布された説明書によりますと:

①本能寺の変の前に、織田信長と明智光秀の間のただならぬ緊張感を感じ取った細川忠興が、どういう解決策をとったか、②ガラシャは子供は5人(男3、女2)と子沢山の母だった、③秀次事件で長女が死刑になるところをどう救ったか、④天下人、秀吉の政策の狙いは何だったか。大地震の前でついえた大阪の夢は何だったのか、⑤秀吉没後、夫である細川忠興が戦役で奔走するなか、細川邸が三成に襲われます。子供たちをどう守ったでしょうか、⑥相手がどうでるかを予測しつつどう予防策を考えるかは、現代にもつながる問題解決であろう、とありました。

約1時間半のコンサートでした。山岡荘八や司馬遼太郎などの歴史小説の表現力には遠く及びませんが、肉声の歌やナレーターの声の響きは私の心にずしんと響きました。

教会の外に出ると、寒気が顔をさしますが、青空が気持ちを引き締めます。

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義兄に言われていたので、教会の裏庭に行ってみました。まるで外国のような光景を見る事ができました。ガブリエル、ミカエル、ラファエルなどの大天使の名前をつけたロッジが見えます。きっと、これら三つのロッジは当時の大天使が住んでいたものを模したと思われますが、よく再現したと感心しました。

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「ルルドの洞窟の聖母像」がありました。長老の家と言われる十字架がかかげられているハウスもありました。そして、ブドウ園とワイナリーも見ました。多治見にはきっとこの土地を提供した大地主(信者)がいたのでしょう。この素晴らしい教会は多治見市の誇る遺産ですね。

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夜は義兄夫妻が参加者を料理屋に招いて慰労会です。まだもう二回の公演が控えていますから、慰労会とはいえ、飲んだり食ったりという若者集団と違い、そこは大人の集団。おとなしく、ゆったりとした時間を過ごしました。

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なお、余談ですがホテルに帰って驚いたことがあります。ホテル自慢の温泉風呂へ入ったところ、中国語を話す大集団がいます。チェックインした時、フロントの担当から、本日はたくさんの中国人の来客があるため、ホテル内は多少騒がしいかと思います。そして明日の朝食は6時ごろにお願いします、と言われた事を思い出し、やれやれと思いながら早めの就寝。

明日は、義兄夫婦と長野の松川町(中央道)で落ち合います。

記事投稿者:尾畑 達(商2)

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2017年11月13日 (月)

東海道の旅 (1/2)、熱海編

今年の8月23日~25日の3日間、名古屋に住んでいる義兄夫婦のお誘いで長野方面へ小旅行をしました。題して「伊那と穂高への旅」。そして11月3日~5日の日程でさらなる旅を重ねました。今回の旅の目的地は岐阜県多治見市です。そこにあるカトリック多治見教会で義兄夫婦が代表をしている「合唱コラーレコンフォーレ」による「歌と語りによる細川ガラシャその信仰と生涯」が開催され、それを聞きにいくのです。

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義兄の妻、直子さんは井伊大老の家系で、名古屋のカトリック系の南山大学英文科出身です。カトリック系大学といえば他に上智大学や美智子様の母校聖心女子大学、そして広島エリザベト音楽大学などがあります。

一方、義兄の家系は忠臣蔵で有名な赤穂の浅野藩の上級藩士でした。東大の機械出身ですが、学生時代にグリークラブで活躍していました。そんな夫婦が名古屋市内に住んでおり、そこにある平針教会の信者として夫婦で賛美歌などを歌うことにより、宗教音楽に親しんできました。

そして、義兄夫婦が17年ぶりに名古屋芸術大学の声楽科OBでテノール歌手1名(男性)とソプラノ歌手2名(女性)を招いて名古屋市内にある南山教会、膳棚教会、恵方町教会、緑が丘教会、布池教会などたくさんのカトリック教会の信者有志と一緒に、3回にわたりコンサート公演します。その第1回目が多治見教会で、2回目は11月19日に安城市内にある安城教会聖堂で、そして3回目は12月17日に緑が丘教会聖堂で開催されます。

さて、今回の私たち夫婦の旅の目的はこれでお判りだと思います。8月の長野の旅ではかなり疲れた事を思うと、今回の多治見行きは無理な旅は禁物と心得、先ずは自宅から4時間半の熱海で一泊、体力を調整・温存して、一気に多治見へ。帰路は夏の長野の旅で行きそびれた諏訪湖周辺で一泊。そこからは中央道で自宅まで直行という旅程を組みました。

今回は自宅から熱海までを掲載します。

マイカー旅行というものは、常に予期せぬ出来事に巻き込まれます。マロンをイオンのペットショップに預けて出発したのが、ちょうど11月3日の10時30分ごろ。先ずは東関東自動車道を経由して高速湾岸線に入り、レインボーブリッジを渡り、首都高速から東京ICへ向かいました。やがて横浜町田ICです。やけに道路が混みあい始めました。

その理由が間もなく判明します。私は小さな丘の上に位置していましたから、道路の後方は下り坂です。突然、沢山のパトカーがサイレンを鳴らしながらこちらに向かって上ってきます。私の前にいた車が迅速に道路の左際に移動しなかったため、私の車は走行車線のほぼ中央の位置に止まったままになってしまいました。

先頭のパトカーが突然ラウドスピーカーで、「そこの前にいる千葉ナンバーの8061の車両はすみやかに左によって、道をあけなさい!」。

そこは、偶然にも工事中の看板が置いてあり、私の車は1メートルぐらいしか幅寄せできません。そのため、5台のパトカーは私の車に接触しないようスピードを落とすかと思いきや、徐行もせず走り去っていきました。時間にすると恐らく10秒ぐらいだったと思います。

それにしても、パトカーに先導されている人物はいったい何者か、そしてわずか10秒間の時間のロスも許さないほど重要なミッションを帯びてパトカーに守られて高速道路を走る人物とは?黒塗りのレキサスの高級車が走り去った瞬間に、もしかしてアメリカの大統領の娘、イワンカさんか? 

ここは横浜町田。そこからの行き先を考えると、もしかして富士山の観光旅行?もしそうなら、パトカー5台が私に向かって「そこのけそこのけイワンカが通る」ではないですか。パトカーの「道をあけなさい」は高圧的です。工事中だとわかる場所に私の車があるのがわからないとは、情けない。私の前にいた車さえ、敏速に移動してくれてさえいたら、私も同じように前進でき、パトカーに迷惑を
かけることはなかったのに・・・。そんな状況判断もつかない警察官が先導する高級車に乗った人物こそ、怖かったに違いありません。

さて、東名の下りを走る場合、いつもなら海老名SAで休憩をとります。しかし、イワンカ騒動を避けるため、足柄SAまで直行しました。ここは天下の名峰、富士山を見る絶好の場所です。ここでトイレ休憩です。

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出発すると間もなく、御殿場ICです。ここを左折すると箱根につながっています。今日は3連休の初日です。気が付くと、レキサスはいうに及ばず、ベンツ、BMW、ワーゲン、アウディ、GM、ボルボなどの外国車が猛スピードで私を追い抜き左折レーンへ入っていきます。当然のことですが、これらの車は箱根、湯河原、熱海、伊東などへいくはずです。高速道路を走る軽自動車や中型車は、先ほど私が体験したパトカーに追い越されるのに似て、外車に一気に追い抜かれてしまいます。それを見ていると、とてもいやな気がします。

足柄SAからはほどなく御殿場JCTです。ここから新東名高速と従来の東名高速が分岐しています。私は生まれて初めて新東名を利用することにしました。10分も走るとあっという間に長泉沼津ICです。ここから、伊豆縦貫自動車道と熱函道路を経由して熱海へ行きます。

笹尻交差点(左折すると十国峠・箱根)を右折して、韓国庭園、中山晋平記念館、澤田政廣記念美術館、熱海庭園が乱立している「あたみ梅ライン」へ入り、来の宮駅を通過して熱海駅前、さらには東横インを右手に見ながら急坂を上り、予約した某鉄道熱海ホテルへ3時ごろに到着。約4時間半の旅でした。

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チェックインして窓の外を見ると眼下には相模湾が広がっています。烏帽子岩も見えます。このホテルは2009年に泊まった「水葉亭」が見える位置にあるので明日の朝、散歩を兼ねて近くまで行ってみることにしました。

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6時の夕食までにはまだまだ時間があるため、熱海の街の散策にでかけました。ダラダラ坂を下ってJR熱海駅に行きました。駅前の足湯(家康の湯)は残念ながら営業中止でした。

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駅前の商店街に行ってみました。駅から出て右側には二つの商店街があります。手前の方が明るく少々の活気がありますが、もう一つの商店街はほとんど観光客がいない有様。この商店街は昔なら人が人を洗う大混雑を起こしていた場所です。

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商店街の中には手湯(福々の湯)とか魚の干物が目につきました。

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夕暮れ時のJR熱海駅前と駅構内。

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温泉につかり、夕食をとり、明日からの旅のため、早めに就寝。翌朝、水葉亭の近くまでダラダラ坂をおりてみました。東海道本線が走っているため、迂回しないといけないので、途中であきらめました。昔(左)と今の画像をみくらべてください。熱海城も撮ってみました。

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ホテルを早めにチェックアウトして、熱海サンビーチを走り「お宮の松」を見ながら玉の湯ホテルを右折して旦那トンネルを経由して沼津へ入り、東名に乗り換え、多治見へ向かいました。

次回は富士川SA、浜名湖SA、新東名岡崎、多治見を予定しています。

投稿者: 尾畑 達(商2)

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2017年10月22日 (日)

ひろしま歴史散策ウオーク(H29年10月21日)

10月21日(土)は久しぶりのひろしま歴史散策ウオーク、JR広島駅を10時出発。 コースは駅周辺高層ビル、愛宕跨線橋、新市民球場、競馬場跡、天神川駅までのコース、あいにくの小雨の中のウオーク

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昨年8月竣工の超高層ビル、現時点では広島で一番高いビル、高さ197mで52階建て ビッグカメラ等商業施設で全てうまり、周辺も高層ビルラッシュ、広島駅同様全くの様変わり

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再開発前の愛友市場がビル内に復活、内部は様変わりしているが以前の方が商売をしているが値段は安く、利用者も多いいとか

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664-愛宕跨線橋

愛宕跨線橋周辺は古い鉄道部分が再利用され、レールの刻印から手前がドイツのウニオン社製(1902年)とアメリカのカーネギー社製。モニュメントととして展示されている

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広島での歌声喫茶のはしりで現在は広島駅近くで復活

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668-新市民球場

マツダ ズーム ズームスタジオは当日横浜との第四戦目、球場まではフアンの列でびっしり。当日は残念ながら30分前に降雨により中止。屋内練習場では横浜の選手が汗を流していました

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669-広島カープ誕生物語像

中沢啓治の野球漫画で屋内練習場横の特設広場に開設された銅像。土管に座ってカープ応援等終戦後の広島の街を忠実に再現している。

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当日は雨がひどくなり午前中で帰りました。

記事投稿者: 神守武彦(商4)

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2017年10月 5日 (木)

お月様、こんばんわ!

昨晩は中秋の名月でした。我が家の二階にあるベランダから眺める月は西の空に見える時間帯がベストなので、それを計算に入れて撮影の時間帯を見計らいました。でも、夜空を眺めますと、うす暗い雲が空一面を覆っており、しかもかなり強い西風が吹いていました。

この流れる雲間にちらりと顔を出すお月様を狙うのですから、苦労しました。ほんの数秒しかないのです。すぐに雲に隠れていきます。隠れては出、隠れては出の連続でした。三脚をつける時間がなく、手ぶれを覚悟でシャッターを押し続けました。20枚ぐらい撮りましたが、やむなく掲載するしかないなーと思われた画像は次の5枚だけでした。

草花を撮影する手法(遠景から近景への移動)を試みてみましたが、手ぶれが激しく、画面の真ん中にお月様を置いてもシャッターを押す力で被写体が移動してしまいます。

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昨晩は15夜でしたが、今夜は十六夜で「いざよい」といい、前夜よりやや欠けた月がためらう(いざよう)ように出てきます。明日は17夜で15夜よりかなり遅れて出る月なので「月は立って待つ」から「立待月」、そしてその次の夜は「居待月」、そして次は「伏待月」と続きます。

昔の人の月へのこだわりはすごいですね。

投稿者: 尾畑 達

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2017年9月16日 (土)

伊那と穂高への旅(4/4)

「伊那と穂高への旅(3/4)」から続いて、本日がいよいよ最終稿です。

本日は8月25日(金)です。義兄夫婦の6人乗りESTIMA車に同乗して、いよいよ最後の旅先である「奈良井宿」へ向かいます。江戸の日本橋から京都の三条大橋までの宿場町は軽井沢や中津川を入れて全部で70。そして、奈良井宿はそのど真ん中の35番目です。

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トンネルが掘られる前と掘られた後の地図がWebでみつかりました。難所の権兵衛峠の様子がよくわかりますね。

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そして、グーグルで表示した今回の旅のルート(大芝荘~奈良井宿の松屋茶房)も合わせて掲載しておきます。

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ここは9年前に木曽路への小旅行(2)」で「奈良井宿」の詳細を掲載しました。当時と今の大きな違いは雑に舗装された道路とボロボロだった多数の民家が見事に補修・修復されていることです。

新設された駐車場の脇に古いSL機関車が無造作に陳列してありました。こんな機関車が当時の中央本線を走っていたんですね。鉄道マニアにとってはきっと宝物を見るようでしょうね。

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さて、「奈良井宿」へ行く理由の一つに義姉が「御岳百草丸」というお店で昔からある化粧品を買うためでした。我々も同じ化粧品(UVクリーム)を一箱買いました。御岳百草丸そのものは胃弱、食欲不振、腹部膨満感によく効く第2類医薬品で長野県製薬の製品です。

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ご一緒した理由はほかにもあります。奈良井宿には「松屋茶房」と言う喫茶店があり、そこが「古カフェ系 ハルさんの休日」というNHKEテレのロケがあり、この機会を利用してそこへ行くことになりました。

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一階はその昔塗櫛問屋をしていた時代の櫛屋の看板が目にはいります。上に右から「目」左へ「印」とあり、山の象形文字の下には櫛を表し、「おん久し處」と名前が書かれています。

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一階は喫茶店ですが、二階へ上る階段は箪笥になっていました。古民家ではよく見かけます。

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「松屋茶房」のFACEBOOKをリンクしておきます。「お客様へ」という冒頭の「古民家と季節の野花に囲まれてやすらぎのひとときを」と「訪れし人にはやすらぎを去りし人にはしあわせを」いうキャッチフレーズは私の心をわしづかみにします。

HOME,PHOOSHOP,MENU,STAFF,ACCESS,EVENT,CHANGING OF 4 SEASONSを開くと、この店の御夫婦の心意気がよーくわかります。

二階に上がり驚きました。狭い部屋に古い物がいっぱい展示してあります。終戦放送を聞いたというラジオが置いてありました。今でも聞くことが出来るようです。

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この店の売りは「サイホン 特選珈琲」ということでしたが、二階で注文したのは「ぜんざい」、「クリームあんみつ」、「アルコールなしの米と麹で作った本物の甘酒」でした。

特に、ぜんざいの漆塗りの茶碗は2百年前に松井弥七さんが「櫛や」だった頃に使っていた物だと知り驚きました。でも、お宝ものが出てきたような気分にさせられ、とても嬉しかったです。

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本日はあいにくの雨まじりの曇天で、観光客もまばら。そのぶんだけ比較的に町の中をゆったりと散策することができました。アトランダムに奈良井宿の画像を掲載します。旅館、お土産物屋、街の風景などいっぱいありますので、寄せ集めてみましょう。先ずは旅館など。

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次はお土産屋さんなど。

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次は、リフォームされた下町、中町の街道の家並の風景です。

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この街道で一番の人気スポットが次の画像です。右手に「花のや」そして左手に「ながとや」というそれぞれが民芸品のお店があります。この画像でお気づきかもしれませんが、偶然ですが、旅人も住民も道には誰一人といません。

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次の画像は中町と上町の境界エリアで、佐倉市にもありますが「辻の手」です。直進した街道を途中で90度曲げることで、兵力の集中を防ぐといわれている場所です。

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その他、気が付いた風景をご紹介して奈良井宿を終わりにします。

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ところで、「ずいずいずっころばし」の発祥の地は奈良井宿だそうですよ。

ずいずいずっころばし ごまみそずい
茶壺に追われて とっぴんしゃん
抜けたら どんどこしょ
俵のねずみが 米食ってちゅう
ちゅうちゅうちゅう
おっとさんがよんでも おっかさんがよんでも
行きっこなしよ
井戸のまわりで お茶碗欠いたのだぁれ

<歌の意味>

胡麻味噌を摩っていると、お茶壺道中が来ると言うので、家の中に入り戸をピシャリと閉めて(=トッピンシャン)やり過ごす。お茶壺道中とは新茶を将軍に献上する行列のことで、切捨御免の時代柄、庶民は粗相の無いように細心の注意を払っており、子どもたちは両親に呼ばれても決して外に出てはならないと教えられた。そしてお茶壺道中が通り過ぎるとやっと一息つけたのである(=ぬけたらドンドコショ)。ところで家の中で息を潜めていると、米を齧っているネズミの鳴き声や、井戸の近くで茶碗が割れたような音まで聞こえてくる。
(ウィキペディアより)

雨も強く降り始めましたので、権兵衛トンネルを通って伊那市内に戻りました。伊那食品工業が経営している「「かんてんぱぱガーデン」内にあるレストラン ひまわり亭で昼食をとりました。

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広域農道が工場のど真ん中を通っており驚きました。

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義兄いわく、「高齢者は肉を食べないといかん」、と言うことで肉料理を注文。私だけはパスタにしました。寒天が素材の食べ物がこの場所
から全国へ配送されているそうです。

寒天ぱぱショップ本店に入ってみました。寒天を使ったた沢山の製品が売られています。そこで、「京やき麩」、「たきこみご飯ほたて」、
「金華サバ味噌煮缶」、「飲む寒天G.F」、「飲む寒天りんご」、「ごはんに寒天」、「大根もち」など興味本位で買ってみました。

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この工場には健康パビリオンという建物があり、義兄がやや強制的にそこへ連れて行きました。そこで骨密度を測定しようと言うのです。

昔の勤務先は計測器や血圧計などの精密医療機器製造・販売メーカーでしたから、体脂肪率測定はよくやっていました。しかし、骨密度は一度も測ったことがなく、一抹の不安はありましたが、%YAM:84%という結果が出ました。80%以上は正常で骨粗しょう症化は少ないそうです。それは競合相手のTANITAの機械で判定されました。

大芝荘への帰路、ファーマーズマーケット「あじ~な」に立ち寄りました。ここは近所の農家が生産品を売っている場所です。義兄夫婦は果物や野菜など買い込んでいましたが、私たちには買いたいものが見つからず、店の中を歩きまわっただけでした。

義兄夫婦とはこの夜は木曽福島で行われる全国的な木曽音楽祭(第43回)を鑑賞するため、別行動になりました。彼らが私に見せた今夕のパンフレットは次のようなプログラムでした。チケットは半年前から売り出されており、倍率もすごいものがあるようです。我々のように興味がない者は不参加の意思表示をしていましたから、同行はありません。

チケットにはフェスティヴァル・コンサートとあり、プログラムは次のようなものでした。

 C.サン=サーンス:デンマークとロシアの歌曲による奇想曲
 オンスロー:弦楽五重奏曲 第16番 ホ長調 
 A.ブラン:七重奏曲 イ長調 

使われる楽器がどんな物か、メモしておきました。フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン、ヴァイオリン、
ヴィオラ、チェロ、コントラバス、ピアノなどでした。

義兄夫婦は第一回から参加しているようです。夜の会場は寒いのでかなり着込んでいました。演奏がよくないと眠ってしまい、風邪をひくこともあるそうです。それでも、音楽鑑賞には目がない義兄夫婦です。

翌朝は妻の体調がベストではないため、中央道が混雑する前の時間帯を狙って早々に大芝荘を出発しました。この判断が正しかったようで、帰路の中央道は全く支障なく走れ、無事に帰宅できました。

預けたマロンを引き取りに動物ホテルへ行きました。どんな顔をして我々を迎えてくれるか、とても心配でしたが、興味もありました。4泊5日です。マロンがどんな生活を送ったか男性社員が一通りの説明をしてくれました。結論は、食事も散歩も睡眠も十分にとれました。報告する問題点はありません、とのこと。

さあ、これだけ聞けばあとはマロンとのご対面です。男性社員がマロンを抱きかかえてフロントの裏にある犬用のホテルから出てきました。4泊というのはマロンにとっては生まれて初めての体験です。さぞかし寂しかっただろう、と思って待ち受けていました。でも、我々の顔を見ても尻尾を弱弱しく振るだけです。

これは意外でした。きっと、昔やってくれたように、尻尾がちぎれるほど振って出迎えてくれると思いきや、全くそれらしい反応はないのです。ホテル内の寝室のどこかで中型犬のトイプードルが激しく吠えているのが聞こえます。おとなしくて従順なマロンにとってはこのような環境はとても耐えがたかったと思われます。ましてや家族と離れるだけでもストレスなのに小さなケージの中での4日間のお留守番は家庭犬にとっては表現しがたいストレスになってしまってるのでしょう。

ああ、まるで宇宙飛行士が地球へ帰還した時の人間の酷い疲れた顔にも似ているのではありませんか!

でも、車に乗せて我が屋に向かうと、見覚えのある道に気が付いたのか、やっと尻尾を振り始めました。家に着くなり、自分のベッドに入り、
「やれやれ、これでひとまず安心だ!」、という顔を見せてくれました。やがて、いつものキャベツとモヤシを混ぜて電子レンジした、好物を口にしだしたころ、やっと本来のマロンの姿を確認することができました。動物ホテルでは安全のため、電子レンジは設置していないのです。

こうして、我々の3泊4日の信州の旅は無事に終わりました。

記事投稿者: 尾畑 達(商2)

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